食い物の恨み

駅前一等地の某大型カメラ屋。近年ますます家電量販店化が進み、遂には最近1Fで酒を売るようになった。そりゃ俺も「ここでモノを見てAmazonでの購入を決断」というゴメンナサイを何度もやっているし、こういうのも時代かなと思う。がそのBFに、いつの間にかフードコートがオープンしていたのに先日初めて気づいた。

和洋中華その他揃っていて綺麗だし、何より「空いていた」のでここで夕食とすることにした。が、その時感じた一抹の違和感 … ここって、スーパーとかショッピングモールとかにもよくある「当確」な漁場な筈。なのにそこがこの時間帯に「空いて」いる。なんで? その嫌な予感は、その後全て的中した。

* 店員日本語危ういし
* てか店員そのひとりだけだし
* 出てくるまで遅すぎるし
* さんざ待った挙げ句来たはいいが悲劇的に不味いし
* その間ずっと「店内貸切状態」だし

この☓☓肉をどうにか我慢して喉の奥に流し込む間も、この店はおろかその付近一帯総閑古鳥状態継続。当たり前だがもう2度と来ない。「他の店なら」な期待もない。この時代、駅前のカメラ屋ごときにフードコートという発想そのものが明らかに☓!

… なんだが、恐らくそんなの百も承知でやってるんではという気も。おやめなさい。すぐ。

    平成スタートな頃によく目にしたが最近見ないもの

    • 電車内で新聞読んでる人 → 赤ペンで競輪・競馬方面も絶滅か
    • サンルーフ → それ以前にオシャレなクルマが走ってない
    • 週末深夜の暴走族 → 2ストって今でもあるんかい?
    • CDウォークマン → 個人的には今でも欲しいんですけど
    • さらきんCM → 手を変え品を変え(以下自粛)
    • ALPEN/Victoria → スキー地獄・サーフ地獄
    • 灰皿 → 重宝していたパチ屋が先日閉店
    • 写ルンです → …

    昭和は更に遠くなりにけり。令和末期には一体どうなっとるんでしょうね。

      カメラはじめます!

      って、俺ではない。ひょんな事から読んだ最近評判のこれ。そして「なるほどこれなら!」と納得した。それはかつて憧れの一眼を初めて手にした時の自分と、この本の著者の姿とが重なったから。

      「自分はアレをこう撮りたい」という意欲と、その成果とのギャップに落胆した経験を俺も持つ。そこから始まった試行錯誤の日々にはカネも手間もたっぷりかかったが、とても楽しかった。なのでこの本は俺にとって、あの頃の追体験でもあった。

      ただその一方で思い出すのは、その後にハマったレンズ地獄。そもそも目的あっての機材でしかなかった筈のカメラとレンズに執着するあまり、いつしかそっちが主役になっていって検証のための被写体を探す羽目に陥るという、絵に描いたような本末転倒。それに気づいた時点で一気に熱も冷めてしまった。携帯で写メ(今でいうスマホでインスタ)が流行りだしたのもこの頃。苦々しい思い出だが、それを経ての今である。やはりカメラも撮影も楽しい!

      この本、恐らく「中級編」たる続編が出るだろうがそこで著者がレンズ地獄にハマっていない事を願うばかりデス。

        Tさん

        フリーのアナウンサーだったこの人と俺とは、特に知り合いという訳ではない。ある楽団の年に2回の演奏会の際にMCとして舞台に立つ側と、客席でそれを眺める側という関係でしかなかった。だがこの人の軽妙洒脱なトークはこの楽団の顔であるのと同時に、常にその意味と意義とを身内の立場からしっかりと聴衆に伝えていた。それはプログラムには書かれない定番の「演目」でもあった。だがそのTさんはつい先日の演奏会を、体調不良で「欠席」した。結果それは、どこかやはりぎこちなかった。

        そこに昨日届いた逝去の報。「今度はダメかも」と聞いてはいたが、その思わぬ喪失感に我ながら驚いているところ。それはもしかすると、これでまた「昭和」がひとつ遠くなったという寂寥感なのかも。合掌。

          新元号発表の日

          行く先々に黒い雲が追いかけてきて、逃げるように歩く中で目に入ったのは「いだてん」的レトロな雰囲気のこれ。

          Canon EOS 6D (24mm, f/4, 1/250 sec, ISO125)

          こういう光景を説明するのに「19世紀末風」とか「100年前」とか数値でなく「大正を思わせる佇まい」といった歴史的表現ができる日本人に生まれてよかった。