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C.Debussy “Sarabande” from “Pour le piano”

昨日の朝、突然のJアラートに日本中が慌てたが俺もそのひとり。そこから「どうやら無事か」と胸をなでおろすまで半日かそこら、その間、ずっと頭の中で鳴っていたのがこの曲。

あれはいつ頃だったか、何かのCMのバックにこれが流れた。ドビュッシーに心酔していた若い頃、目を瞑ってこれを聴いていて脳裏に広がった光景が正にそれで「あっ!」と思った。

思えばドビュッシーが「ピアノのために」を書いた頃、それはかつて人類が経験した事のない、悲惨な戦争の前夜。世の中は、あれからずっと速く、豊かになったかもしれん。が、本質的なところは今に至っても、実は何ひとつ変わっていないんではないだろか。

やっぱクルマの競争が好きなわたし

JSportsのお陰で毎年、自宅に居ながらにして鈴鹿1000kmを観戦 …  あれ?  前にもこんな書き出しで始めたことがあったような、と思ったら5年前。かー、あれからそんな経つのか! と思いつつ、今年もLIVE観戦。

なんでもSuperGTの1000kmは今年が最後とか。それに加え大物ドライバーの参戦やらで、鈴鹿は大入り満員札止め状態。その来場者数はF1を凌ぐというが、伝統の一戦が今年限りというのが如何にも惜しい。が、来年の催しの成果次第では復活も大いにありでしょう、と思わせるぐらいその内容は濃かった。

「見ていて楽しいレース」の条件は幾つかあるが、いちばんのそれは「出走台数の多さ」である。SuperGTはしばしば「日本ならではのガラ興行」と揶揄されるが、かれこれ20年にも亘って常にフルグリッドで多くの観客を集めてきた。収支の点からも恐らく、下手すりゃ観客よりドライバーの人数のほうが多い「名ばかりの国際レース」より上だろう。

この世知辛い現代にあって「参加することに意義」なのって少ないが、これってそのひとつとして立派に成り立っていると思う。もう一度鈴鹿の夏、そこに臨席できたらどんなに楽しいだろうと思った。

 

 

あらら …

今年もサイトウキネン … もといセイジオザワの時期だなあ、と思ってサイトを見たらなんとまあ、今回のオペラは昨年と同じく「子供と魔法」だそうで。そして昨年と同じく、オケピには非オザワ+その音楽塾オケ。チケットはS席で¥6,000也と財布に優しいのでこの作品がおハツな向きにはお薦めだが、果たして今回は完売となりますか?

てか、こういうサービス公演みたいなのって、この催しらしくないと思う。俺的には演奏機会の少ない作品を、毎年豪華布陣でぶち上げてくれていた頃が懐かしい。

いっぽうオケの演奏会の方には相変わらず高値がついているが、全3公演でオザワが振るのはそのうちの僅か2曲。そりゃ今の風体見たら無理もなかんべえとは思うが、こうなると愈々その「後」が気になってくる。タイトルに「キネン」がついて本人不在となっても、果たして松本に人は集まるんだろうか?

# あ”〜言っちまった

実はその松本は、俺の生家から目と鼻の先。この催しが始まって以来、いつの日かこれが「変なオペラ見たけりゃここへ」みたいな存在となってくれればと願ってきた。来年以降が気になるところだが、あの路線に戻ってくれればきっとマエストロ・オザワも喜ぶだろう。そして俺も、高額なチケットを手にすべく老体に鞭打って働くことだろうと思う。

# その結果当日、S席でガーガー寝てたりして(笑)

「少女」 邦画 : 2016年

ひょんな事から映画「少女」を観た。昨年公開されたというが知らなかったし、興行成績もイマイチだったらしいがコレ、結構面白かった。バラバラなピースが最後にカチッと組み合わさって「なるほど!」と頷かせるところが如何にも原作者、湊かなえならではという感じ。なお監督が女性というのを観終わってから知ったんだが、確かに男性にはない、良くも悪くも女性ならではの描写・表現というのを随所で感じた。

そしてあの「ふわふわ」な本田翼が、血だ死だ怨だの主役を演ずるとこんなに怖いのかと思った。本作、そのイッちまった顔だけでもじゅうぶん見る価値あり!

ただ、惜しむらくは主役以外のキャスティング。中でも、アンジャッシュ児嶋と稲垣吾郎の起用はないでしょう。どういう基準でこうなったのか知らんが、どちらも現実の姿がカブってしまってダメ。この辺が最近の邦画のアキレス腱なのかなとも思う。

フィンランディアの夏

一昨日は恒例の「ナカザワ・キネン」夏の演奏会へ。今回のメインはシベリウスの交響詩「フィンランディア」。むろんブラス編だが、生でこれを聴くのは自らステージでこれを演った時以来なので実にxx年ぶり。その最初の一音がホールに響いた時、俺の中に去来したのはあの頃のこと。

それは俺が中学生になって間もないある日の事、朝刊の社会面に「日フィル、解散か!?」風な見出しが踊った。日フィル=当時の日本フィルハーモニー交響楽団である。都市部の楽界とは無縁な筈の田舎のガキ(=当時の俺)が、その報道に「え!?」と反応したのには理由がある。それは、俺が小学5年生の時親にねだって買って貰ったお気に入りのレコードにクレジットされていたのが、他ならぬ日本フィルハーモニー交響楽団の名前だったからだ。

ある日小学校で音楽の時間に聴いた「おもちゃシンフォニー」が気に入り、担任にその商品名を聞きメモして帰った。そして数日後それを帰宅した父からハイと手渡された時以来、併録3曲共々これをいったい幾度繰り返し聞いたことか。それがいきなり「解散」と聞き、とても悲しい気分になったもんだった。

だがそこは所詮チューボー。新しい世界での新しい仲間らとの生活の楽しさの前にそんな騒ぎもいつしか意識の隅においやられ、更にはラジオから聞こえてくる洋楽にハマっていって、いつしか日フィルの事などすっかり忘れてしまっていた。

それを思い出したのはその6年後、進学で神奈川県民となり大学のオケでチェロを弾かせて貰うようになってから。そしてちょうど今頃だったと思う。横浜で渡邉暁雄と日フィルによるシベリウスの2番が聴けると知り、すぐにチケットを購入した。

そして当日、県民ホールで前の方に着座した俺は一曲目の「ウィリアム・テル序曲」から既に金縛りにあってしまっていた。恐らくそれは、奏者という立場になってから初の演奏会だったからだと思う。またそれは「やっぱプロはすげえなー!」という畏怖と「もう後戻りのできないところに自分はいるのだ」という覚悟を自らに強要する瞬間でもあった(オーバーかな?)。

そんな面倒な思いからようやく落ち着きを取り戻したのは、2曲めのチャイPから。そしてメインのシベ2まで、それはもう「一音たりとも聞き逃すまい」なノリで全身を耳にしていた。なので最後のタクトが降りて渡邉暁雄さんがこちらを向いた時は、心から拍手したもんだ …

と、ここまでなら普通の演奏会。だが凄かったのはそこから。なんとここで日フィルはアンコールに応え「フィンランディア」を演奏したのである。好きな曲だったし、これは刺さった。そして「闘うオーケストラ・日フィル」の勇姿を再認識。恐らくあの日、俺と同じ気持ちであの場にいた人は多かったと思う。

ただこの「日フィル争議」の真の意味とか意義とか、それら全てを理解できたのは、ようやく俺自身が社会に出て自活するようになってから。その時、既にあの報道から10年が過ぎていた。忸怩たる思いと時間の重み、それらを感じ入るたびあの「フィンランデイア」が心の中、遠くの方から響いてきた。

そんな思い出の数々が脳裏を駆け巡ったひと時だった。素晴らしい演奏でこのオッサンをあの多感な頃まで導いてくれた、野庭高校吹奏楽団OBの面々に心から「ありがとう」と言いたい。