カテゴリー別アーカイブ: Music

音を楽しむと書いてオンガクする

フィンランディアの夏

一昨日は恒例の「ナカザワ・キネン」夏の演奏会へ。今回のメインはシベリウスの交響詩「フィンランディア」。むろんブラス編だが、生でこれを聴くのは自らステージでこれを演った時以来なので実にxx年ぶり。その最初の一音がホールに響いた時、俺の中に去来したのはあの頃のこと。

それは俺が中学生になって間もないある日の事、朝刊の社会面に「日フィル、解散か!?」風な見出しが踊った。日フィル=当時の日本フィルハーモニー交響楽団である。都市部の楽界とは無縁な筈の田舎のガキ(=当時の俺)が、その報道に「え!?」と反応したのには理由がある。それは、俺が小学5年生の時親にねだって買って貰ったお気に入りのレコードにクレジットされていたのが、他ならぬ日本フィルハーモニー交響楽団の名前だったからだ。

ある日小学校で音楽の時間に聴いた「おもちゃシンフォニー」が気に入り、担任にその商品名を聞きメモして帰った。そして数日後それを帰宅した父からハイと手渡された時以来、併録3曲共々これをいったい幾度繰り返し聞いたことか。それがいきなり「解散」と聞き、とても悲しい気分になったもんだった。

だがそこは所詮チューボー。新しい世界での新しい仲間らとの生活の楽しさの前にそんな騒ぎもいつしか意識の隅においやられ、更にはラジオから聞こえてくる洋楽にハマっていって、いつしか日フィルの事などすっかり忘れてしまっていた。

それを思い出したのはその6年後、進学で神奈川県民となり大学のオケでチェロを弾かせて貰うようになってから。そしてちょうど今頃だったと思う。横浜で渡邉暁雄と日フィルによるシベリウスの2番が聴けると知り、すぐにチケットを購入した。

そして当日、県民ホールで前の方に着座した俺は一曲目の「ウィリアム・テル序曲」から既に金縛りにあってしまっていた。恐らくそれは、奏者という立場になってから初の演奏会だったからだと思う。またそれは「やっぱプロはすげえなー!」という畏怖と「もう後戻りのできないところに自分はいるのだ」という覚悟を自らに強要する瞬間でもあった(オーバーかな?)。

そんな面倒な思いからようやく落ち着きを取り戻したのは、2曲めのチャイPから。そしてメインのシベ2まで、それはもう「一音たりとも聞き逃すまい」なノリで全身を耳にしていた。なので最後のタクトが降りて渡邉暁雄さんがこちらを向いた時は、心から拍手したもんだ …

と、ここまでなら普通の演奏会。だが凄かったのはそこから。なんとここで日フィルはアンコールに応え「フィンランディア」を演奏したのである。好きな曲だったし、これは刺さった。そして「闘うオーケストラ・日フィル」の勇姿を再認識。恐らくあの日、俺と同じ気持ちであの場にいた人は多かったと思う。

ただこの「日フィル争議」の真の意味とか意義とか、それら全てを理解できたのは、ようやく俺自身が社会に出て自活するようになってから。その時、既にあの報道から10年が過ぎていた。忸怩たる思いと時間の重み、それらを感じ入るたびあの「フィンランデイア」が心の中、遠くの方から響いてきた。

そんな思い出の数々が脳裏を駆け巡ったひと時だった。素晴らしい演奏でこのオッサンをあの多感な頃まで導いてくれた、野庭高校吹奏楽団OBの面々に心から「ありがとう」と言いたい。

 

Hugo Alfvén Swedish Rhapsody No. 1 “Midsommarvaka”

ヒューゴ・アルヴェーンの「スウェーデン狂詩曲第1番 夏至の徹夜祭」。あれ以来「今やらずしていつやる!」な切迫観に囚われ、遂には作曲者自身による4手連弾の楽譜を買い求め着手。祭りにつきもののヨッパライと喧嘩と踊りの情景を頭に思い浮かべつつ、日々少しずつ音符を拾ってきた。

が、それは想像以上に♪多くて長く、そしてリズムも和声も独特で思いのほか難航。そもそもこの曲の元となったスウェーデンのフォークダンスというものを、ワタシはまるで知らなかった。

そこで一旦手を休め、スウェーデンの民謡やら舞曲やらを幾つか聞いてみたら、徐々ににポイントがわかってきた。そして、全貌が掴めたところでイッキに仕上げてみたのがこれ。我ながら「なるほど、実はこんな楽しい曲だったのね!」な気分。どうか最後までお楽しみくださいマセ。

マエストロ広上はかく語りき

ひょんな事から杉並公会堂で日フィルの公開リハーサルをタダで見られると知り、時間ができたので荻窪へ。あれ以来だから、新装なった杉並はこれが初である。先着600人限定とあったが、事前に電話で「12:00までに来ればまず大丈夫」と聞いていたのでほぼジャストに到着。既に結構な待ち行列ができていたが、驚いたのはその年齢層の高さ。ヘタすりゃ俺が最年少か!? というほど。そりゃ平日の昼間だしとは思ったが、どうも聞こえてくる会話の内容から察するにみな日フィルもしくは杉並の常連の様で、肩身が狭い。

が、まあそれはいい。大事なのは評判のいいこのホールの音響が俺好みかどうか、まずはそこだったのだから。そして開場、ホールに足を踏み入れるとそこでは普段着の団員らによる「Also sprach Zarathustra」の断片がカオスな状態で響いていた。これはいい! 低弦と打楽器がバシッと聞こえてくるところが◎。やはりこういう小ぶりなホールが俺の性に合っている。

そして定刻。噂には聞いていたが、本当にピアニカ持参で広上淳一さんが入ってきていよいよリハーサル開始。そこから約90分間、さすがプロという感じの「Also sprach Zarathustra」をたっぷり堪能。

それにしても赤いTシャツ姿のマエストロ広上、指揮台でピアニカを吹く姿たるやどこぞのなんたらバスカーズ。確かに、アゴーギクを的確に伝えるのにアレはアリだ。珍しいものを見た気分で、それはそれは楽しいひとときでした。これはおススメ!

新日フィルの思い出

先にNHKで放送された新日フィルの演奏会の模様を、録画で見ている。新日フィルかー …  久々。いまや墨田区を本拠地に安定した活動を続けているこのオーケストラだが、俺はこれまでに一度だけそれをごく間近で見た事がある。だがそれはコンサートホールで、ではない。それは …

— ココカラタイムスリップカイシ —

それは70年代末の秋、平日の夕方だったと記憶する。行きつけのレコード屋の壁に貼られた「オーケストラが町田にやってきた!」というポスターを見て驚いた。あの新日本フィルハーモニー交響楽団が今日、すぐそこに来るというのである。それもタダ!  ヒマだったし、行ってみる事にした。

但しその会場たるや、今はなき某デパートの屋上(!)。アンパンマンショーとか、演歌の新人がカラオケとかではない。プロのオーケストラが、都下摩天楼のてっぺんで演奏するというのである。雨でも降ったらさすがに中止だったろうが、この日は朝から曇天+強風。その一帯には、不穏な空気がこれでもかというほどに垂れ込めていた。

現場、もとい会場には開演より少し早く着いた。が、客少ない(涙)。既にコンクリの床には椅子やら譜面台やらが配置されていたが、その脇には運動会とかでよく見るテント。どうやらその下で湯呑み茶碗を握っているのが指揮者らしいが、強風で寒いのか肩を丸め、その周りでは男性団員らが髪をクシャクシャにしながら着替えの最中。これじゃあ女性はもっと大変なのでは?  と思ったら、エレベーターホールみたいな一角がそれに充てられたらしく、みなここにすし詰め。しかもガラス越しにその様子が丸見え(笑もとい涙)。

その間にも風は更に強くなり、客もそれなりに集まってきたが「こんなんで演奏できるんかいな?」と心配する中、楽器を抱えて団員がゾロゾロと出てきた。そして着座、コンマスのAでチューニング開始 … とそこへ、これまでで最強の疾風!  見ていた俺も身の危険を感じる中、哀れ譜面台から奪われた譜面の幾つかがが空高く舞い上がり、どこかへ消えて行った。客もみな逃げた。奏者らの前には譜面なき譜面台。

「笑っちゃいかん!」と、自らを戒めたが笑ってしまった。そんな悲劇的な状況下、指揮者が登場。「よーしオープニング、いこーかー!」と笑顔で咆哮後に指揮棒一閃、始まったのがおなじみあの常動曲@直純@TBS。

だがそこはさすがプロ。譜面などなくとも、一糸乱れぬアンサンブルがそこに繰り広げられた。ただその途上で更に多くの譜面が飛ばされるは、弦は倒されそうな譜面台を足で止めるは、管はみな空いた方の手で髪を撫で付けるはでそれはもう阿鼻叫喚。終わった時には心から「ブラボー! 」と叫んでやりたい気分だったが、既に周囲に人がおらず自粛。

あの催しがその後どうなったのか? この時点で俺も逃げたので、知らない。「音楽をナリワイとするというのは、これほど大変な事なのだ」というのを強烈に思い知らされつつ。

— ココマデ —

あの頃の新日フィルって、若い団員ばっかだった。創立からまだ数年、正にいちばん大変な頃だったろうと思う。今とは隔世の感ありなあの頃。もしかしてあの時の誰か、まだ現役でいたりして。

 

 

 

アルヴェーン 「夏至の徹夜祭」

いきなりこの話でなんだが、俺も初めてこの曲を聞いた時は「んん!?」と思った。あれはスキー場だったか、それともスケート場だったか。記憶は定かでないが子供の頃の事で、あの国民的旋律たるアレと「似て非なる」それに暫し聞き入ってしまった。だがそれが誰の何という曲なのかは知らないまま、時は流れた。

# この時のは、かなり後になってマントヴァーニ楽団のそれと判明

そして大学生となった俺は或る日、朝のNHK-FMでHugo Emil Alfvénの「スウェーデン狂詩曲」というのを耳にして飛び起きた。「ここ、これは!?」と膝をただし、音量を上げて最後まで聞いた。そして「アルヴェーン」とだけ書いたメモを手に大学の図書館へ直行、この曲について調べてみた。そこでわかったのは、これがアレに似ているのではなく、アレがこれにとても良く似ているのだという事実。これは真相を究明するしかあるまい、と図書館を後にした。

だが当時はそのレコードがどこの店にもなく、やむなく視聴覚室での鑑賞を幾度か。総譜も手に入らないしで、調査はここで打ち切りとなってしまった。

それからまた時はたくさん流れ、今やこの曲はいつでも好きな時に聞けるようになった。そして驚いた事に、この春その総譜があのニチフから発売されていた。なので早速これを購入し、あの日
諦めた調査を再開した。むろん、アレも聴く。

結論 ……………………………………………………

やっぱ似てる(笑)。が、冨田氏のそれ(あ”ー、言っちまった)は2/4の2拍目の16分の刻みが重要で、原曲「夏至の徹夜祭」でこれをやったら、あんな爽やかに響かない。というより、この2拍目が恰も包丁のストローク(=調理)を思わせるところが秀悦である。そう思って聞くと不思議なことに … やっぱ似てますわ(大笑)。でもそれは当初のそれとは反対の意味で「似て非なる」リズムと響き。どっちも好きなワタシ♪

という訳で「きょうの料理」は大アリ!  どころか、これで原曲「夏至の徹夜祭」の人気が高まってくれたらむしろ御の字では
ないか!  ヨカッタネ!  おわりっ!