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思いつくまま

ポルシェ撤退 フォーミュラEへ!?

危惧は現実となってしまった。ただ今年のル・マンを見ても、主役が2チーム5台のみという有様では、それも宜なるかなと思う。

近い将来、CO2を排出するクルマは販売できなくなるという。それを見越してのポルシェの決断は正しい。919の数年間で「さすがポルシェ!」というところも充分に証明したし。

が、恐らく919はファンの記憶に残らない。なぜならそれは「ただ速い」だけで、ポルシェらしい「美しさ」を見せる事なく今年限りで終わってしまうから。そこが917や956との違い。しかも次の舞台がフォーミュラEって、宣伝にはなるだろうがそんなのポルシェらしくない。

# でも勝つんだろうが

こうなったらトヨタには、いずれ電気自動車のみとなるであろうル・マンでの勝ちを確定させるべく、今から「速くて美しい」車両の開発に着手して貰うしかない。そうなりゃポルシェも戻ってくる。何年後になるのか?  それは案外早くにやって来そうな気がする。

なんだこりゃー!

昨夜からウツラウツラしながらJSportsでル・マン観戦。ここまでのデキからも、今年こそはトヨタの悲願成就間違いなしと信じつつ。

ポルシェ#2が大きく遅れた時は「これでイタダキ!」と思った。トヨタ#9が遅れだした時は「さすがに1-2-3フィニッシュは難しいかな?」と思った。トヨタ#8がピットに貼り付いた時も「まあそれでもトヨタ#7の勝ちはカタいでしょう」と楽観的だった。

それが日本時間早朝、急転直下この始末。ムゴいとしか言い様がない。まだ現地は真夜中。魔物だか牙だか知らんが、勘弁してよと言いたくなってくる。これでタナボタトップを走るポルシェ#1がコケでもしたら、総合優勝がLMP2という事態になりかねない。ウサギとカメじゃないが、この調子だとその可能性、大いにアリとみた。

JSports解説陣もすっかりショゲてるし、寝るとしますか。起きた時どうなってるか、ちょっと楽しみではありますが。

追記:  予想は半分当たり(笑)。にしても、1時間以上もピットにいたクルマがトップでチェッカーって、これ記録でしょ。

追記:  どうやらトヨタは来年もLMP1での挑戦を続けてくれそうなのでひと安心だが、3台でもダメだった以上かつてのジャガーみたいに6台とか持ち込んでみてはどうか。ただそれ以前に、最上位の
カテゴリーに数台しかエントリーがないというこの現状。ポルシェ圧勝の一方でライバルが次々撤退、レースそのものが成立しなくなった例が過去に幾つもあったが、これもそうなりそうな気配。

追記:  その後の報道によると7号車のクラッチが壊れたのは、ピットロードの出口から走り出しですぐ停止した後だそうで。ピット以外で停車・再発進する事を想定していなかったというが、それだけで壊れたというんでは「アマかった」と言われてもしょうがないんでは?

なにごとも経験!

屋外でのレンズ交換の機会が多い俺の場合、よくセンサーやミラーにゴミが付着する。だが前者はともかく、後者は宿命と割り切り、細かいのは気にしないようにしてきた。

が、細かいのに加え少し前から大きいのがファインダー内にへばりついてからは、どうしてもそこに目が行ってしまう。ブロワーでなんぼ吹いてもダメだし、本気で清掃することにした。

まず「ミラーか?」とこれをセンサークリーナーで拭いてみたが、消えない。「フォーカシングスクリーンか?」とこれも下から拭いてみたら(注1)、少し良くなったがその大きいのが消えない。「裏か?」と思ったが、そこを拭くにはこれを外さなければならない。えーとどーすんだっけなー? と思いつつ、指でそこらをつついてみたらパカっと蓋が開き、中からころんとフォーカシングスクリーンが出てきた(注2)。おっ、ラッキー♪ とばかりにそれを指でつまみ出し(注3)、裏まで拭いた。そしてこれを元に戻し、さあこれでカンペキでしょー!  とファインダーを覗いてみた。

唖然。あの大きいのは消えるどころか拡大、更にはその周囲に糸埃やら縞模様やらが満開。膝からがくがくと力が抜けてきた。やるんじゃなかったー! と天を仰いだが後の祭り。こうなった以上メーカー送りがいちばん確実なんだろうが、それには多大な時間と¥が。ああっ、どうすりゃいいのさ orz…

と、そこでハタと思いついたのは「フォーカシングスクリーンを新しいのと交換すれば吉なのでは?」だった。調べてみたところ、俺がダメにしたEg-AIIの他にも装着可能なのが幾つかあって、中でもEg-Sというやつがよさげに見えたので、早速これを買いに走った。

Canon EOS 6D (24mm, f/13, 1/125 sec, ISO6400)

その帰路、某喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら取説を読んだ。ふむふむ、専用工具で外して付けてと。なんだ簡単じゃん!  と思いつつ店を出ようとしたその時「う、もしかしてここの方が俺んちより衛生的かつ広くね?」という思いが頭をよぎった。6Dは持って来てるし、そうだここでやっちまおう、よーしやるべやるべ!  で開始。

数分後、それは無事完了した。カスタムファンクションでEg-Sを選択、店を出て6Dを空に向けファインダーを覗いてみると  …  ヤッター!  キレイだわ♪  Eg-Sの「ピントの山がつかみ易い」というのも実感できて、メデタシメデタシで帰宅したのでした。うーん、いい勉強になった。

注1:  フォーカシングスクリーンを拭いてはイケマセン
注2:  カメラを上向きにしてから外しましょう
注3:  専用工具を使いましょう

追記:  Eg-Sは開放F2.8以下でないとファインダーが暗いというので、タムロンの70-300で試してみた。なるほど暗い(笑)が、これって昔の望遠の時のそれ。懐かしさで、却って嬉しくなってしまった。Eg-S、気に入ったぜ。

更に追記:  その70-300を久々にマウントしてみて、あれほど重いと思っていたそれを「軽い!」と感じてしまった。写りはいいがやっぱ重すぎるんだよね、アレ。んー。

「でもシアワセなんて どう終わるかじゃない どう始めるかだぜ」

「牧神の午後への前奏曲」で音楽の世界の奥深さに開眼するまで、俺は田舎のギター小僧だった。その頃俺が愛好していたのは、当時既に解散していた「はっぴいえんど」という名のバンド。中でもそのデビューアルバム「はっぴいえんど」の中の「はっぴいえんど」という曲(ヤヤコシイ!)がいちばん好きだった。タイトルは、そのいっぱつめのサビ。それは今でもずっと、心の中にある。

「でもシアワセなんて 何を持ってるかじゃない 何を欲しがるかだぜ」

これが2発目。今なら「そうそう、そうだよな!」だが、当時は「え、そうなの?」だった。要は「世間知らずのガキだった」ということ。でもあの年頃ってきっと、誰だってそうだったろう。

今日、久々にこれを聴いて気持ちが少し楽になった。実はここ暫く、いろいろあって身も心もフトコロもすっかり疲弊していて気持ちも後ろ向きになっていた。が、ここでまた欲しいモノやりたい事に後押しされて、前に進む気になった。いまは明日が楽しみ!

遠い昔への旅

ふと郷愁の念にかられ、学生時代を過ごした街を訪ねてみたくなった。記憶の彼方にある風景は果たしてそのままなのか、それとも大きく変貌しているのか。そして何より、俺が5年以上の長きにわたって暮らしたアパートが今どうなっているのかを知りたくなり、それを実行に移すことにした。誘いにのった当時のご近所TとKもこれに加わり、期待と不安が交錯する中、いよいよその当日を迎えた。

電車を降り、背後でドアが閉まる音を耳にすると何故かホッとした気分になった。30余年の月日を超えて自分が今、自宅への帰路の中途にいるという錯覚からだろう。あの頃もこいつらと、こんな距離感を保って幾度もここを歩いたもんだが、やはり改札の向うの風景はすっかり様変わりしていた。駅前には大きなビルが幾つも建っていて、店も増えた。だがそれら利便はみな今ここに暮らす人々のためのものであって、うちら3名には無縁。エスカレータで通りへ降り、今回の目的地たるかつての住まいに向け歩き始めた。

Canon EOS 6D (24mm, f/5.6, 1/60 sec, ISO800)

すると駅から離れるにつれ、徐々に当時の面影が風景の中に浮かんできた。クルマの往来が激しいこの通り沿いは、むろん古びはしたもののほぼあの頃のままの配置でいる様だ。だがそこから更に歩を進め、脇道に入ると状況は一変した。その一帯に当時ぎっしりと軒を連ねていた筈の安普請がそっくり消え失せ、あるのは小奇麗な住宅やマンションばかり。気分は浦島太郎だ。

溜息を漏らしつつ更に進むと、次に目に入ったのは朽ちるがままに放置された廃居。どういう事情でそうなったのかなど知る由もないが、閑静な住宅地にあってその惨めな姿は痛ましいばかり。もしかするとあの頃はここにも家族がいて、俺はその窓からこぼれてくる灯りと味噌汁の香りを感じながらここを歩いていたかもしれない。目を背けるようにして更に進むこと数分、突き当りのT字路には見覚えのあるカーブミラーが。そしてその先には狭い階段があって、2階の手前が俺の部屋だ。思わず小走りになり、そして立ち止まった。

 

そこに階段はなかった。記憶の中にあった光景はざっくりと切り取られ、それに代わって真新しい鉄筋の建物の壁が鈍く光っていた。小さく舌打ち。草臥れたオッサンが三人、道端でハァとかフゥとか言いながら立ち尽くすその有様はさぞかし不審だったろう。

Canon EOS 6D (24mm, f/5.6, 1/180 sec, ISO100)

いつ取り壊されたのか? 下に住んでいた大家さんはどうなったのか? もっと早くに来れば良かったのか等々、様々な思いが頭の中を駆け巡ったが、何ひとつ答えが見つからない。近くの床屋とかガソリンスタンドとかが残っていたのがせめてもの救いだったが、その年月の重み、遠さは予想を大きく超えていた。そして歩き疲れた体と、沈みかけた気分とを癒やすべく最後は居酒屋で〆。思い出話に花が咲く頃にはようやく「来て良かった」という気分になっていた。

Canon EOS 6D (24mm, f/5.6, 1/60 sec, ISO2500)

「懐かしい」という言葉は、懐に抱いた自分だけの思い出というところからきたそうな。目に見えるものはどう変わろうとも、心の中のそれはいつまでも色褪せない。そんな当たり前の事がこれまで以上に嬉しく、そして有難く思えてきた。それこそが今回の小さな旅の、いちばんの収穫だったのかもしれない。