カテゴリー別アーカイブ: Random

思いつくまま

悪魔の物理辞典

@ β崩壊

独自のビデオ規格に固執したメーカーが、多数派の前に惨敗を喫する現象。半減期数年で消滅し、同時に信奉者を多数放出する。HD-DVD崩壊も同様。

@ 陽子

日本人女性に多い名前。逆に少ないのが電子、中性子、パイ中間子など。

@ イオン化

デパートやホームセンターの看板が一夜にして赤紫色に変わる現象。

@ 臨界公園

男女が一対で訪れ、臨界状態を経て多くの跡継ぎが誕生している公園。

@ 放射精物質

発育に対し、自制心が低い状態の♂種元素。余剰エネルギーを液体として放出することで崩壊を繰り返し、半減期数十年で安定する。ゴム一枚で遮蔽可能だが、♀核種での体内被曝は高い確率で新たな核種の生成を伴う。

@ アイソトーフ

化学的には同じでありながらニガリの含有率のみが異なる豆腐。

@ アイソソープ

化学的には同じでありながらサービスの内容のみが異なる風俗店。

@ 残留放射戦

J1の同位体のうち幾つかは半減期1年で崩壊し2属に遷移する。残留の可能性はその資金力に比例し、不安定同位体がここから逃れる事は通常起こりえない。だが多くのサポーターをポテンシャルエネルギーの反射材として周囲に配置すると、時にその逆転現象が生じる。これは精神論的なトンネル効果によってのみ説明できる反応であり、同じ事は2属の安定同位体にも起きる。

被災地を訪ねて (8)

その夜「やはり来て良かった」と、しみじみ思いながら疲れた体をベッドに放り出した。

今回、いわゆる被災地にいたのは正味たったの6時間。だがそれは必要にして十分な時間だったと思う。そしてそこに我々が落としたものより、得たものの方がずっと多かった。この地方を襲った悲劇に対し一部では「天国から一夜にして地獄」みたいな捉え方がされている様だが、それが明らかに違うというのもよくわかった。

それについて、敢えて今回ここでは触れない。が、そうした一朝一夕にカタがつかない課題・問題に対し、諦める事なく前向きに立ち向かっている方々こそが、本当の意味での復興・再建の命運を握っているのだと痛感した。

いつかまた、ここに来たいと思っているうち睡魔が襲ってきた。こうして温かいベッドで、明日の心配をする事なく床につける幸せを感じながら。

(完)

 

被災地を訪ねて (7)

気仙沼に戻り、港のレストランでほっと一息。なれど今となってはこの店が普通に営業しているのが不思議に見えるほど、短時間で震災の傷跡の深さを見た。陸前高田からの道すがら、土台だらけになってしまった住宅地を歩いていて子供のオモチャやら衣服やら食器やらを幾つも目にした。運転手さんからは、ここに書けないような話も聞いた。この人達が運悪くこういう目にあったのか、それとも俺達が運良く逃れてきたのか、ますますわからなくなった。だがこの光景だけは生涯忘れまいと思った。

帰りの電車までまだ時間があるので、港のまわりを歩いてみた。しかし夕刻に近づき寒さは更に増し俺はたまらずGiveup、近くの屋台村に逃げ込んだ。今日は夜までシラフでいようと思っていたがもうダメ。目についた店に駆け込み「何でもいいから酒ください」と頼むと「ハイボールならあります」と言うので即注文。飲みながらこの若いマスターにいろいろ話をきかせて貰ううち、ようやく体が温まってきた。あのとき現場にいた人しか知らない苦労とか痛みとか、今こうして向い合っているからこそ聞けるのだと思いつつ杯がすすむ。

ホロ酔い気分で気仙沼駅へ向かうべく、再度タクシーに乗った。陸前高田へ行って来たのだと言うと、この運転手さんは「わしらもあっちへは良く行くんですがね、なにしろ目印になってたもんがなくなっちまってるから良く道に迷います」と。なるほどこのタクシーにも、さっきのそれにもカーナビがない。尤も道そのものが変わってしまっているから、カーナビも役にたたないか。「わしも仮設住まいなんですが、給水タンクが凍っちまって水出なくなって参ってます」とも。

ああ、みんな被災者なのだと。この運転手さん達も、本当なら瓦礫の山じゃなくて、風光明媚な地元を案内したかったんだろうにと、この時改めて思った。

(続く)

 

被災地を訪ねて (6)

峠を越え再度海沿いの道に出ると、前方に背の高い木が見えてきた。奇跡の一本松と呼ばれる、アレだ。いよいよここからが陸前高田市である。「根元まで行ってみましょうか」と運転手さんがタクシーを廻してくれた。そこで初めてクルマを降り、松の前で記念撮影となったんだが、参ったのはその寒さ。俺も寒いところの生まれなので気温の低いのには慣れているつもりだが、海からの風が強くて5分と立っていられない。「ここに海水冠ったとあっちゃ、そりゃひとたまりもなかったろうな」と思いつつタクシーに戻り、今度はいよいよ市街地に向かって貰った。そして再度クルマを降り、あたりを見渡して・・・

言葉を失った。

今この3km四方ぐらいのだだっ広いところに立っているのは、我々5人だけなのだ。犬一匹歩いてない。音もない。むろん店なんかない。運転手さんの言うのは本当だった。

それまで俺の頭の中にあったのは、自衛隊員やらボランティアやら重機やらヘリやらが忙しく立ちまわる、埃っぽい光景。だが今やそれすらも過去のものなのだ。「日が暮れたら真っ暗ですよ」という運転手さんの言葉に思わず目を閉じ、合掌した。震災前を知らない俺にしてこうなのだ。ここで暮らしていた人達、ここをよく知る人達の悲嘆は想像するに余りある。

腹もすいてきたので、我々は気仙沼に戻ることにした。

(続く)

被災地を訪ねて (5)

港を過ぎると、陸前高田に向けて道は一直線になる。右手には工場や桟橋が立ち並び、左手には大船渡線が並行して走っている ・・・ と、それはあの日までのこと。電車は走ってないし、線路から海側でまともな格好で残っている建物などひとつもない。そんな中、嫌でも目に入ってくるのが道端に残された第18共徳丸。その巨大な姿は、まるで何年も前からそこにあるかのように、すっかり風景の一部となってしまっている。むろんこの船だって好きでここにいる訳ではないんだろうが、あの下にはそこで暮らしていた人たちの大切な思い出があるのだと思うといたたまれない。

そこでふと時計を見ると正午が近い。運転手さんに「陸前高田で食事できるところはありますか?」と聞いてみると「ないですよ」とアッサリ。じゃタクシーとかバスとかは? と尋ねると「それもないです、なんにもないです」と言う。本当に~? という気分のままクルマは海を離れ、坂道を登りはじめた。

峠付近まで登って行くと、左右に仮設住宅が見えてきた。そこで気づいたんだが、気仙沼からここまでの間、スーパーとかコンビニとかを全く目にしていない。むろんこの周囲にもない。クルマもないんだろうし、ここでは生活物資をどうやって調達しているんだろうと心配になった。それに加えこの寒さ。平屋建てのプレハブが如何にも心許なくて、本当にあそこで人が住めるのかな、と思った。

(続く)