Arduino IDE 1.6 + 1.7 = 1.8

ちょっとした恥ずべき不注意でWin10をぶっ飛ばしてしまった。そこでやむなく出荷時の状態に戻して再設定、お陰で動作が見違えるように軽くなったのはいいが、これで週末丸潰れ(涙)。

さてその途上でArduino.ccから最新のIDEを、と思ったらバージョンが「1.8.1」とある。一瞬「?」となった後「おーっと、これが和解の結果かー!」と理解し、早速インストール。そして起動後、ボードマネージャから更新をしたら一覧にM0とかzeroとかが出る様になった。メデタシメデタシ!

だがやはり、ここまでの約2年間は勿体なかったなー。中でも当時出たばかりのzeroが、分裂騒動の渦中で放置された様な格好になってしまったのが痛かった。これを機に利用者が増え、未解決なままのstandbyとか割り込みとかの情報が流れてくるのに期待している ← 完全に人頼み(恥)。

人生最大の危機

それは先週のこと。そろそろこれの仕上げに入ろうと作業を開始して「アレッ!?」となった。ほぼ完了まで持っていった筈のそれが、聞こえてくるのは明らかな不協和音 …  いやそれどころではない、まるで調律の狂ったピアノ = ホンキィトンクピアノになってしまっているではないか。音源の設定はそのままなのにおかしいなあと思い、あれこれ試してみたがダメ。何が起きたんだ?  狐につままれたようで、まるでわからない。

そこで「一体いつから?」と、以前に録音したのを聴いてみた。ところが、なんとこれもホンキィトンク!  まさかずっと前からこうだったのか? と一瞬思ったが、どう考えたってその時点でこれに気づかない訳がない。もしかしてPCの音の設定か?  と調べてみても問題ない。この時点で、何かとても嫌な予感がしてきた。

恐る恐る、今度はYouTubeでピアノ曲を聞いてみた。すると、やはりこれも同じ!!  イッキに動悸が高まった。そして同じのをiPadで聞いてみたところ、それは的中した。なんとこれもホンキィトンクなのだ。

この時点でハッキリしたのは「俺の耳がおかしい」という事実。震える手でイヤホンをiPadに挿し、まずは右だけで聞いてみたらこれは正常。そして左耳だけにしたところで愕然とした。半音近くピッチが低い!!! 背筋に冷たいものが走った。原因は何だ?  症状はこれ以上進行するのか?  などなど不安で一杯になり、翌朝直ちに耳鼻科へ直行した。

検査の結果は「鼓膜には異常なし、だが左のみ高域での聴力が落ちている」のだそうで、恐らく基音に対する高周波成分付近が大きく凹んでいて、結果的に音程が低いと感じてしまっているのだろうとの診断。ストレスや疲労でこうなるケースはよくある事なので、まずは充分に睡眠をとり、聴覚神経の血行を良くする薬を一週間きちんと服用して来週また来なさい、との事。

そこから一日、翌朝まできっちり薬を飲んだが症状は好転せず。しかもこの日は午後から旧友が2名、酒持参で来ることになっていた。いつもの音楽談義に花が咲く筈のところだが、肝心の耳がこの始末なのでやむなく耳栓を買って来て、左にだけ装着した。これで少しはマシになったが、その違和感に不安は更に高まった。

そしていよいよ宴の始まりとなったが、これは黙っていてもダメだろうと、最初に現状を説明する事にした。さすがに両名「ええっ!?」と驚いていたが、そのうち酔いも回ってきてヤンヤとなり俺自身、つけたままの耳栓の事も忘れていた。

その後、シメに外で夕食をとり、帰宅してまた薬飲んでTVをつけた。するとどこかそれがとても自然な「鳴り」に聞こえてハッとした。試しに耳栓を外し、音量を上げてみたら、なんとあのホンキィトンクが失せているではないか!  おいおいマジかよ、と鍵盤叩いてみると、まだいくぶん音程が危ういとはいえ、明らかに朝より良くなっているのがハッキリ実感できた。薬が効いたのか、それとも酔のせいか、それともはたまた夕方から降り出した雨によるものか、といろいろ考えを巡らせたが、ここは大人しく寝るに限ると判断、そのまま布団に潜り込んだ。

あれから数日、すっかり良くなって今これを書いている。さて実はここからが本題なんだが、不思議な事にあの時「これでオシマイか!」と絶望する事はなかった。それは、外から聞こえる音はおかしくとも、頭の中では以前通り美しい音が鳴り続けていたから。ベートーヴェンの気持ちが少しわかったような、そんな気がした。そういう意味では、そこまで覚悟したという事にもなるんだが。

何はともあれ、得難い経験でしたー!

今回はちとマジメな話

今や韓国では、若者の失業率が10%を超える勢いだそうな。そんな状況にありながら拗れたまま、どころか悪化の一途を辿る日韓関係。大統領以下、政府そっくりレイムダック状態というのも異常だが、それを煽る報道機関やら市民団体やらの言動行動、どれも世の常識を大きく逸脱している。一体どうなっとんだか?

俺にはソウルに何名か知人(むろんみな韓国籍)がいるが、みな親切で気のいい奴ばかりである。その中に女性日本語通訳さんがいて、その彼女から以前こんな話を聞いた事がある。

彼女の友人が旅行で京都・奈良を訪れた際に、大きな衝撃を受けたという。それは子供の頃から「日本の文化はみな朝鮮伝来の紛い物」と教えられてきたのが、あの建造物や仏像、町並みをその目で見て「あれは嘘だった」と知ったから。そして更には「だとすると、あれもこれも、みな嘘!?」と考え込んでしまったという。

教科書にそう書いてあるのか、それとも親や先生がそう教えているのかは知らないが、そんな機会でもなければこの人もずっとそういう認識のままでいた筈。そして、そんな機会のない人の方が圧倒的に多い筈。捻れたままの日韓関係、その根にあるのが恐らくこれだ。何か「大きな変革」が起きない限り、これはこの先何代も続くだろう。

今回の日本政府の措置が、その「大きな変革」への銃爪となってくれればと願ってやまない。

Robert Schumann “Zigeunerleben”

新年明けましておめでとうございます。どうか本年もこの変なサイトを宜しくお願い申し上げます。

ということで、2017年いっぱつめはシューマンの「流浪の民」。

これがキッカケで着手したが、やはりオリジナルのピアノ伴奏だけではつまらないので、ピアノ独奏版を参考にあれこれ。これも歌詞載せときましょう。

橅の森の葉隠れに
宴寿(ほが)い賑わしや
松明明(あか)く照らしつつ
木の葉敷きて倨居(うつい)する

これぞ流浪の人の群れ
眼(まなこ)光り髪清ら
ニイルの水に浸されて
煌(きら)ら煌ら輝けり

燃ゆる火を囲みつつ
燃ゆる赤き炎 焚火
強く猛き男(おのこ)安らう
巡り男休らう
女立(おみな)ちて忙しく
酒を酌みて注し巡る

歌い騒ぐ其の中に
南の邦恋うるあり
厄難(なやみ)祓う祈言(ねぎごと)を
語り告ぐる嫗(おうな)あり

愛(めぐ)し乙女舞い出(いで)つ
松明明く照りわたる
管弦の響き賑わしく
連れ立ちて舞い遊ぶ

すでに歌い疲れてや
眠りを誘う夜の風
慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり
慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり

東の空白みては
夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れて鳥鳴けば
何処(いずこ)行くか流浪の民
何処行くか流浪の民
何処行くか流浪の民
流浪の民