遠い昔への旅

ふと郷愁の念にかられ、学生時代を過ごした街を訪ねてみたくなった。記憶の彼方にある風景は果たしてそのままなのか、それとも大きく変貌しているのか。そして何より、俺が5年以上の長きにわたって暮らしたアパートが今どうなっているのかを知りたくなり、それを実行に移すことにした。誘いにのった当時のご近所TとKもこれに加わり、期待と不安が交錯する中、いよいよその当日を迎えた。

電車を降り、背後でドアが閉まる音を耳にすると何故かホッとした気分になった。30余年の月日を超えて自分が今、自宅への帰路の中途にいるという錯覚からだろう。あの頃もこいつらと、こんな距離感を保って幾度もここを歩いたもんだが、やはり改札の向うの風景はすっかり様変わりしていた。駅前には大きなビルが幾つも建っていて、店も増えた。だがそれら利便はみな今ここに暮らす人々のためのものであって、うちら3名には無縁。エスカレータで通りへ降り、今回の目的地たるかつての住まいに向け歩き始めた。

Canon EOS 6D (24mm, f/5.6, 1/60 sec, ISO800)

すると駅から離れるにつれ、徐々に当時の面影が風景の中に浮かんできた。クルマの往来が激しいこの通り沿いは、むろん古びはしたもののほぼあの頃のままの配置でいる様だ。だがそこから更に歩を進め、脇道に入ると状況は一変した。その一帯に当時ぎっしりと軒を連ねていた筈の安普請がそっくり消え失せ、あるのは小奇麗な住宅やマンションばかり。気分は浦島太郎だ。

溜息を漏らしつつ更に進むと、次に目に入ったのは朽ちるがままに放置された廃居。どういう事情でそうなったのかなど知る由もないが、閑静な住宅地にあってその惨めな姿は痛ましいばかり。もしかするとあの頃はここにも家族がいて、俺はその窓からこぼれてくる灯りと味噌汁の香りを感じながらここを歩いていたかもしれない。目を背けるようにして更に進むこと数分、突き当りのT字路には見覚えのあるカーブミラーが。そしてその先には狭い階段があって、2階の手前が俺の部屋だ。思わず小走りになり、そして立ち止まった。

 

そこに階段はなかった。記憶の中にあった光景はざっくりと切り取られ、それに代わって真新しい鉄筋の建物の壁が鈍く光っていた。小さく舌打ち。草臥れたオッサンが三人、道端でハァとかフゥとか言いながら立ち尽くすその有様はさぞかし不審だったろう。

Canon EOS 6D (24mm, f/5.6, 1/180 sec, ISO100)

いつ取り壊されたのか? 下に住んでいた大家さんはどうなったのか? もっと早くに来れば良かったのか等々、様々な思いが頭の中を駆け巡ったが、何ひとつ答えが見つからない。近くの床屋とかガソリンスタンドとかが残っていたのがせめてもの救いだったが、その年月の重み、遠さは予想を大きく超えていた。そして歩き疲れた体と、沈みかけた気分とを癒やすべく最後は居酒屋で〆。思い出話に花が咲く頃にはようやく「来て良かった」という気分になっていた。

Canon EOS 6D (24mm, f/5.6, 1/60 sec, ISO2500)

「懐かしい」という言葉は、懐に抱いた自分だけの思い出というところからきたそうな。目に見えるものはどう変わろうとも、心の中のそれはいつまでも色褪せない。そんな当たり前の事がこれまで以上に嬉しく、そして有難く思えてきた。それこそが今回の小さな旅の、いちばんの収穫だったのかもしれない。