これもまた新藤兼人

社会派として知られた新藤兼人監督が逝去されたが、実は大胆かつ濃厚な愛と性の描写でも有名な人だった。特に60年代から70年台にかけて発表された作品にその傾向が強く、今で言うR指定のオンパレードである。

そんな中でも異色中の異色なのが「鉄輪」(1972)。鉄輪とは五徳(小西真奈美が孤独と似ていると呟いたアレ)のことで「かなわ」と読む。これにローソクを3本立てて頭に乗せた女が、夜中に神社で恨む呪う念じるという、能の演目がある。そう、能である。イヨーポンである。

いきなり和装に白塗りの音羽信子が、藁人形に五寸釘である。気味悪いったらない。すると今度は場面が現代に飛び、乙羽信子と夫たる観世栄夫、その愛人フラワー・メグの関係が淡々と描かれる。そしてまた場面は古代へ、とこうして2つの時間軸を交互に行き来しながら、それらがだんだんゴッチャになってくる。そこに明確なストーリーなどないし、セリフも少ない。そのかわり、妄想絡みの性描写がてんこ盛り。観ているこっちは頭の上に?が幾つも並ぶ。

そして、そんな訳わからん展開が膨張しきったところで呆気なく「終」。

なんじゃこりゃあ!? と、最初は思った。見るからに低予算、短期間で撮られた作品
だが、そのインパクトたるや強烈だった。果たしてこれは愛憎劇なのか、それともホラーなのかコメディなのか? 未だによくわかってないが、明確なのは「やっぱ新藤兼人は凄い」と、そこ。機会があれば是非見て欲しい作品だ。

伊福部昭 「交響譚詩」

邦人作品は苦手な俺だが、それでも「ツボ」なのは幾つかある。中でもこれは別格で、高校の頃にTVで聴いて即ハマった。日本人が不思議な寄港地で火の祭典、みたいな曲である(意味不明)。とにかくこの人の「速いテンポ+強引な変拍子+デカイ音」はどれも直感的かつ個性的で痛快そのもの。

だがその一方で、この人の「ゆっくり+普通に+おとなしく」には何の魅力もない(注:俺的にはですよ)。この曲はまさにその2面性を絵に描いたような作品で、あのつまらない「第二譚詩」を(注:あくまでワタシ的にはでございますが)がなければ世界中のオケの定番、もしくはアンコールピースとなっていたかも。

つい最近、音楽之友社からこの曲のスコアが出ているのを知って驚いた。そして久々に聴きたくなって買ったのがこのCD。プロだけに併録曲も含めさすがにウマい。そう、さすがプロだけにウマいんだが・・・俺だったらきっと、もーちい「ワイルドだぜぃ♪」な演奏するぞ!  誰かホネのある奴、日本人が演ったらこーなんだという決定版を出してくれー!

レスピーギ 「ローマの噴水」

この曲を初めて自宅で聴いた時のこと。最初の方がモゴモゴ言ってて全然聞こえないので音量を上げた。ところがそのうち耳をつんざく大音響となり、慌てて音量を下げた。すると暫くしてまたもや静まり返り、再度音量を上げて最後まで聴いた。

こういう「地味に始まり派手に繋ぎ静かに終わる」曲は生ではいいが、一般家庭で楽しむのには向かない。そこでレスピーギ自身も反省し、次の「ローマの松」では「そこそこ派手に始まりそこそこ地味に繋いで派手に終わる」路線に方向転換した。そして続く「ローマの祭り」では遂に「メチャクチャ派手に始まり地味にお茶を濁しドンチャン騒ぎで終わる」を具現、オーディオマニアを味方につけた。

むろんウソである。だがこの「ローマの噴水」は実際、他の2曲と比べ演奏される機会が少ない。CDも少ない。なぜか? 思うに1曲めの「夜明けのジュリアの谷の噴水」の途中で寝たとか飽きたとか諦めたとかで、そこから先を真剣に聞いた事がないという人が多いからではないだろうか? だとしたらもったいない話である。もしそんな方がいたら、いちどヘッドホンでの鑑賞をしてみては如何かと。きっとこの曲の素晴らしさがわかる筈である。

悪魔の物理辞典

@ β崩壊

独自のビデオ規格に固執したメーカーが、多数派の前に惨敗を喫する現象。半減期数年で消滅し、同時に信奉者を多数放出する。HD-DVD崩壊も同様。

@ 陽子

日本人女性に多い名前。逆に少ないのが電子、中性子、パイ中間子など。

@ イオン化

デパートやホームセンターの看板が一夜にして赤紫色に変わる現象。

@ 臨界公園

男女が一対で訪れ、臨界状態を経て多くの跡継ぎが誕生している公園。

@ 放射精物質

発育に対し、自制心が低い状態の♂種元素。余剰エネルギーを液体として放出することで崩壊を繰り返し、半減期数十年で安定する。ゴム一枚で遮蔽可能だが、♀核種での体内被曝は高い確率で新たな核種の生成を伴う。

@ アイソトーフ

化学的には同じでありながらニガリの含有率のみが異なる豆腐。

@ アイソソープ

化学的には同じでありながらサービスの内容のみが異なる風俗店。

@ 残留放射戦

J1の同位体のうち幾つかは半減期1年で崩壊し2属に遷移する。残留の可能性はその資金力に比例し、不安定同位体がここから逃れる事は通常起こりえない。だが多くのサポーターをポテンシャルエネルギーの反射材として周囲に配置すると、時にその逆転現象が生じる。これは精神論的なトンネル効果によってのみ説明できる反応であり、同じ事は2属の安定同位体にも起きる。

被災地を訪ねて (8)

その夜「やはり来て良かった」と、しみじみ思いながら疲れた体をベッドに放り出した。

今回、いわゆる被災地にいたのは正味たったの6時間。だがそれは必要にして十分な時間だったと思う。そしてそこに我々が落としたものより、得たものの方がずっと多かった。この地方を襲った悲劇に対し一部では「天国から一夜にして地獄」みたいな捉え方がされている様だが、それが明らかに違うというのもよくわかった。

それについて、敢えて今回ここでは触れない。が、そうした一朝一夕にカタがつかない課題・問題に対し、諦める事なく前向きに立ち向かっている方々こそが、本当の意味での復興・再建の命運を握っているのだと痛感した。

いつかまた、ここに来たいと思っているうち睡魔が襲ってきた。こうして温かいベッドで、明日の心配をする事なく床につける幸せを感じながら。

(完)

 

被災地を訪ねて (7)

気仙沼に戻り、港のレストランでほっと一息。なれど今となってはこの店が普通に営業しているのが不思議に見えるほど、短時間で震災の傷跡の深さを見た。陸前高田からの道すがら、土台だらけになってしまった住宅地を歩いていて子供のオモチャやら衣服やら食器やらを幾つも目にした。運転手さんからは、ここに書けないような話も聞いた。この人達が運悪くこういう目にあったのか、それとも俺達が運良く逃れてきたのか、ますますわからなくなった。だがこの光景だけは生涯忘れまいと思った。

帰りの電車までまだ時間があるので、港のまわりを歩いてみた。しかし夕刻に近づき寒さは更に増し俺はたまらずGiveup、近くの屋台村に逃げ込んだ。今日は夜までシラフでいようと思っていたがもうダメ。目についた店に駆け込み「何でもいいから酒ください」と頼むと「ハイボールならあります」と言うので即注文。飲みながらこの若いマスターにいろいろ話をきかせて貰ううち、ようやく体が温まってきた。あのとき現場にいた人しか知らない苦労とか痛みとか、今こうして向い合っているからこそ聞けるのだと思いつつ杯がすすむ。

ホロ酔い気分で気仙沼駅へ向かうべく、再度タクシーに乗った。陸前高田へ行って来たのだと言うと、この運転手さんは「わしらもあっちへは良く行くんですがね、なにしろ目印になってたもんがなくなっちまってるから良く道に迷います」と。なるほどこのタクシーにも、さっきのそれにもカーナビがない。尤も道そのものが変わってしまっているから、カーナビも役にたたないか。「わしも仮設住まいなんですが、給水タンクが凍っちまって水出なくなって参ってます」とも。

ああ、みんな被災者なのだと。この運転手さん達も、本当なら瓦礫の山じゃなくて、風光明媚な地元を案内したかったんだろうにと、この時改めて思った。

(続く)

 

祈念的極悪演奏会

友人から「東日本大震災祈念コンサート」なる招待券を貰ったので、読響を聴きに久々のサントリーホールへ。が、ロビーに足を踏み入れた瞬間に「む?」となった。普段と客層が明らかに違っているし、ケバいブルゾン姿の誘導係がそこら中に。背中にはヨーカドーとかでよく目にする某ブランドの名が。既にこの時点で強烈なヤバい感が漂っている。ちなみにこの演奏会、読響のサイトのカレンダーにもなかった。

そして開演と共に始まったのが、その誘導係らによる珍妙なパフォーマンス。それもBGMが「あの空へ~」ときた。Funky Monkey Babysのせいじゃないが、よもやここでこれを聞かされるとは思わなかった。そしてMCが本日の指揮者。東北がどうたら祈念がこうたらと延々聞かされた挙句、ステージに出てきたメンバーの顔ぶれを見て「これ本当に読響?」。期待はしない事にした。

1曲目、バッハのアリア。演奏はともかく、暇そうに座っている管と打の連中の顔が目につき落ち着いて聴けず。

2曲目、運命。ハナから「やりゃいいんでしょ」感プンプンで、聴くに耐えない。楽章の合間には客席から拍手が起こるし、繰り返しを全部やってくれたお陰で途中からは「早く終わらんかな」と祈念。

休憩中、同伴したトーシロさん曰く「今イチですね」。無理もない。

3曲目、新世界より。さすがにこれではイカんと思ったか、それとも早く帰りたかったか、タテも揃って鳴りもずっと良くなった。が、今度はお客様が疲れたか、演奏中にあちこちでお喋りやら咳払いやら鼾やらクシャミやら ・・・ そして最後は指揮棒が降りる前にBravo!(涙)。

これ自腹で聴いた気の毒な人、いるんだろか? せめてお詫びのアンコールぐらいやるべきだったんじゃないでしょーか>読響。

被災地を訪ねて (6)

峠を越え再度海沿いの道に出ると、前方に背の高い木が見えてきた。奇跡の一本松と呼ばれる、アレだ。いよいよここからが陸前高田市である。「根元まで行ってみましょうか」と運転手さんがタクシーを廻してくれた。そこで初めてクルマを降り、松の前で記念撮影となったんだが、参ったのはその寒さ。俺も寒いところの生まれなので気温の低いのには慣れているつもりだが、海からの風が強くて5分と立っていられない。「ここに海水冠ったとあっちゃ、そりゃひとたまりもなかったろうな」と思いつつタクシーに戻り、今度はいよいよ市街地に向かって貰った。そして再度クルマを降り、あたりを見渡して・・・

言葉を失った。

今この3km四方ぐらいのだだっ広いところに立っているのは、我々5人だけなのだ。犬一匹歩いてない。音もない。むろん店なんかない。運転手さんの言うのは本当だった。

それまで俺の頭の中にあったのは、自衛隊員やらボランティアやら重機やらヘリやらが忙しく立ちまわる、埃っぽい光景。だが今やそれすらも過去のものなのだ。「日が暮れたら真っ暗ですよ」という運転手さんの言葉に思わず目を閉じ、合掌した。震災前を知らない俺にしてこうなのだ。ここで暮らしていた人達、ここをよく知る人達の悲嘆は想像するに余りある。

腹もすいてきたので、我々は気仙沼に戻ることにした。

(続く)