被災地を訪ねて (5)

港を過ぎると、陸前高田に向けて道は一直線になる。右手には工場や桟橋が立ち並び、左手には大船渡線が並行して走っている ・・・ と、それはあの日までのこと。電車は走ってないし、線路から海側でまともな格好で残っている建物などひとつもない。そんな中、嫌でも目に入ってくるのが道端に残された第18共徳丸。その巨大な姿は、まるで何年も前からそこにあるかのように、すっかり風景の一部となってしまっている。むろんこの船だって好きでここにいる訳ではないんだろうが、あの下にはそこで暮らしていた人たちの大切な思い出があるのだと思うといたたまれない。

そこでふと時計を見ると正午が近い。運転手さんに「陸前高田で食事できるところはありますか?」と聞いてみると「ないですよ」とアッサリ。じゃタクシーとかバスとかは? と尋ねると「それもないです、なんにもないです」と言う。本当に~? という気分のままクルマは海を離れ、坂道を登りはじめた。

峠付近まで登って行くと、左右に仮設住宅が見えてきた。そこで気づいたんだが、気仙沼からここまでの間、スーパーとかコンビニとかを全く目にしていない。むろんこの周囲にもない。クルマもないんだろうし、ここでは生活物資をどうやって調達しているんだろうと心配になった。それに加えこの寒さ。平屋建てのプレハブが如何にも心許なくて、本当にあそこで人が住めるのかな、と思った。

(続く)

被災地を訪ねて (4)

このタクシーの運転手さんが気さくな人で、地元の言葉でいろいろ説明してくれる。それを聞きながら緩い下り坂を降りて行くと、徐々に津波の爪痕が見えてきた。そしていよいよ道が平坦になり、港の近くまで来るとそこからはもう、紛れもない「現場」だった。これまで繰り返し報道されてきた光景が、そのまま眼前に広がっている。その意味では驚きというのはなかったが、いまだに壊れた船やクルマが道端にゴロゴロしているのを見るにつけ、その現状はやはり厳しいのだな、と改めて思った。

そして暫く走り続けるうち俺は「どこか何か変だな?」と感じ始めていた。いったい何なんだ? と思っているうちにタクシーが信号で止まり、窓越しに近くを見た時、その理由がわかった。かつて家や店があったところが、みなこの道よりずっと低いところにあるのだ。つまりクルマは、台形に高く盛土された道の上を走っているのだ。畦道から田んぼや川を眺めているようなものか。ここでさっき運転手さんから聞いた「気仙沼で70cmぐらい沈みました」の、本当の意味がわかった。もし今この道沿いに何かを建てようとすれば、そこも同じ高さにしなければ道との間に段差ができてしまう上、洪水にでもなればすぐ冠水してしまうのである。

「気仙沼全体を嵩上げするって、いったいどれだけ金と時間がかかるんだ?」と思ったが想像もつかない。

(続く)

被災地を訪ねて (3)

一夜明け、ホテルを出て駅に向かう。ここで大船渡線の路線図を見ると、気仙沼から先に厚紙が貼られていて読めない。何だかブルーシートで隠されているみたいで痛々しい。そして発車時刻になったので「快速スーパードラゴン」なる2両編成のローカル線に乗る。周囲を見渡すと、恐らくウチらと同じ観光客らしき人が殆どで、中にはビデオカメラを手にしたジンガイさんも。

そして山の中をコトコト走ること1時間、終点・気仙沼駅に到着した。「ああ遂に俺は被災地に足を踏み入れるのだ」という緊張感で背筋を正し、改札を出た。ところが・・・

そこにあるのは山あいのひなびた駅前風景で、震災の痕跡など微塵も感じられない。
あの日以来「気仙沼」の3文字=悲惨な現場、というイメージでいただけに「これは思った以上に復興・再建が進んでいるのかな」と、その時は思った。そして釈然としないまま、我々はタクシーに乗り込んだ(レンタカー案は「危ないからやめろ」との意見で既に却下されていた)。

(続く)

被災地を訪ねて (2)

出発は2月10日、被災地訪問は翌日と決まった。だがこの1日しかないので、東北沿岸400kmをくまなく見て歩く時間などない。そこで今回は陸前高田市を目的地と決めた。今回最も被害が大きかったと言われるところで、TVでレポーターが「町がひとつ、そっくりなくなってしまいました」と表現した、あそこである。

宿もここでと最初は考え、調べてみたが、いかんせん「ない」。気仙沼も無理とわかり、最終的には一ノ関と決まった。ここまで新幹線で移動し一泊、翌日大船渡線で気仙沼へ移動。そこからレンタカーか何かで陸前高田に向かい、そこで昼食後に大船渡まで移動し一ノ関に戻る 、ぐらいの大雑把なプランでの見切り発車である。

そしていよいよ3代4名の御一行は2月10日夕刻、寒風吹きすさぶ一ノ関に到着した。なお以後、面倒なので俺以外の面々の行動と心象風景とは割愛させて頂くのでご容赦を。

(続く)

被災地を訪ねて (1)

3.11以来、事あるごとに「被災地のボランティアに参加したい」と口にしてきた奴が身近にいる。実は俺の母親なんだが、まだ足腰共に丈夫で、長いこと民生委員やら介護ボランティアやらをしてきただけにその気持ちは良くわかった。が、いかんせんこの女も八十路。頼むからそれだけは自重してくれと言ってきた。

だがその一方で義援金とか支援物資とかだけでなく、何かもっと踏み込んだ支援ができないもんだろか、と俺自身も常々思っていた。行かなきゃわからんところもあるだろうし、さりとて半端な気持ちで出掛けて行ったら迷惑になるだけだろうし、そもそもカネないし ・・・ とか色々考えているうちに年が明けた。

そんな1月のある日、気仙沼に「復興・再建屋台村」なる一角ができたと聞き、俺は遂にこう確信した。

「被災地への観光は、それだけでも立派な支援だ!」

被災地に赴き、地元のメシを食い地元の酒を飲み土産のひとつも買って帰る ・・・ 被災地が被災地と呼ばれる前と同じように。恐らく3月になればまた1周年とかで報道陣が殺到するだろうし、その前に被災地の「今」をこの目で見る。厳しい寒さもそのひとつだ。そうと決まればあとは実行のみ。こうして息子とオッカサンとその妹を誘い込み、3代4名での被災地見学ツアーが決定した。

(続く)

Tirez sur le pianiste de faux!