洗濯物を部屋干ししながら聞いていた今年の広島平和記念式典。そこでこれを耳にして「はっ!?」とばかりに振り返った。よもやトルストイの名を、それも今日広島市長のスピーチで聞こうとは夢にも思っていなかったからだ。そして脳裏を横切ったのは黄ばんだ文庫本の背表紙、蘇るトラウマ …
あれはプロコフィエフに心酔していた18の頃、片っ端からその作品を聴きまくった末にいよいよ歌劇「戦争と平和」の段となった。が「さすがにこれはしっかり予習してからでなきゃ無理」と覚悟した。そこでさっそく岩波文庫のそれを読み始めたんだが、これが予想以上の難行苦行だった。
なにしろ登場人物が多く、それも性別すら曖昧(注1)なカタカナ人名ばかりなもので覚えるだけでひと苦労。さらには舞台がナポレオンの頃のロシア(=革命以前)とあって、何もかもが昭和な日本とかけ離れていて想像しきれない。途中からはメモとりながら読み進めたが「3歩進んで2歩下がる」が数日後には4歩下がるようになってとうとう1巻目でギブアップ orz..
この時思ったのは「今の俺にはその意義はおろか物語すらも咀嚼する能力がない」と認めざるを得ない敗北感。以来、ずっと捨てるに捨てられず書棚に置いたままのその背表紙を目にするたび、あのトラウマを思い出していた。そしてそれすら忘れかけていたころへ、昨日の広島市長のスピーチ。
「他人の幸福の中にこそ自分の幸福もあるのだ」
今度こそこれを自分の目で、そしてトルストイの言葉として読みたい。
注1: 「なんたらフ」が男性で「なんたらワ」が女性というのをその後学んだ