Onoda, 10000 nuits dans la jungle

忙しさにカマけていて「ONODA」の公開が既に始まっていたのに一昨日気づいた。そこで慌てて近くの上映館を探し、遂に今日観てきた。その感想をこれから述べるが、その前にまずワタクシ的「小野田寛郎」さん観を。

「ルバング島から小野田さん帰国」の速報は「横井さん」の2年後だった。なので正直なところ新鮮味は薄かったし、あまっさえ「この調子だとまだどっかからこういうの出てくるかも」ぐらいに思っていた。そしてこの人も横井さんの様にすぐ「市井の人」に戻り、忘れ去られて行くのだろうと思っていた。

だが小野田さんに当時の日本での暮らしは性に合わなかったのか、あちこちで起こした騒ぎが都度ニュースのネタにされた。そして挙句「牧場経営を志しブラジルへ渡った」と聞いた時は心底驚いた。「気の毒な人」だった筈の小野田さんが、五十過ぎにして自分の意志で事業を、それも地球の裏側ブラジルで始めるべく日本を離れたというのである。それは世間に渦巻く賛否の議論とは別で「この人はまた、それも今度は自ら難行に向かうのか」という感嘆だった。それ以後「小野田さん」の名前を耳にすることはなくなった。

それからだいぶ経った頃、TVで久々に小野田さんを見た。牧場経営も軌道に乗り、心身ともに健康と語るのが偽りでないのはその表情からわかった。更にはその後なんとか塾を開始、若者を相手にサバイバルのノウハウを伝授していると聞いてまたまた驚くとともに、小野田さんに対する見方がそれまでとがらりと変わってしまった。「軍人としての30年間」という過去を悔いるでも嘆くでもなく「今」という時を、人に頼ることなく自分の手で生き抜かんとする、その潔さに感銘したのだ。本人による著作も片っ端から読んだ。

そんな小野田さんの姿を最後に目にしたのは、東日本大震災の時。

被災者の関わりで申しますと、亡くなった人はいくら悔やんでも戻らない。自分までがつぶれたら二人とも亡くなった形になります。これは一番不幸です。だから自分は再起して、苦しい時は過去を振り返らないこと。昔は戻らないのですから。

という言葉が心に沁みた。

さてその小野田さんの半生をフランス人監督が映画化、カンヌ映画祭で大受けしたと耳にした時から「これは観るしか」と思っていた本作。思ったより客席も埋まった。だが、ワタクシ的評価は☆☆。その理由は

1. 3時間という長尺に無駄な間が多い
2. 陸軍中野学校とその出身者をおどろおどろしく捉えすぎ
3. 佐渡おけさが意味不明

といった点から。結果的にこれが実話なのか創作なのかがハッキリとしない。学校のシークエンスはそっくりカットで良かったんじゃないだろか。

とまあ少々残念な結果ではあったが、小野田さんという名前を知らない、若い人たちでは評価も違うだろう。そしてこれを機に多くの人が小野田さんという人の「一生」に興味を持ち、知ることになるのであれば嬉しい。

    ショパンコンクールのレジェンドたち

    Eテレで日曜に放送されたこれを録画、BGMがわりにして仕事中。懐かしい顔ぶればかりで嬉しいが、ナレーションの時に画面をチラ見していて「あれ?」となった。凱旋門の映像の前に「1931年パリへ」とあったよね?

    見間違いかと思って巻き戻してみたが、やはり「1931年」。あれま、ショパンは若くして没したと聞いていたが、実は121歳にしてまだ現役でパリにいたとは! ドビュッシーの葬儀には参列したのかな? とかとか想像して大笑い.。

    僭越ながら、ポーランドが生んだ「ピアノの詩人」フレデリック・ショパンを知らない人のためにNHKのミスを訂正しておきましょう。あれは「1831年」の間違いです。再放送があるらしいのですがそこでどうなっておりますやら。

    ボーっと番組作ってんじゃねえよ! > 日本放送協会

    # そういやかつてNHKはポリーニの日本語表記をシツコイぐらい「マウリツィオ・ポルリーニ」としていた記憶が

     

      激安中華Win買いの日本円失い

      ついさっきのこと。昨夜就寝直前に閃いたアイデアをモノにすべく、午前中からPCに向かっていた。それがどうにか完成間近なところまで漕ぎ着けてホッとしていた、まさにその時。いきなり画面がブルー(!)に、そして「再起動します」とか出て勝手にプチンとなって以後、BIOSで止まってて先へいかない。

      焦ってあれこれ試したが、何やっても何やっても全部ダメ。これを小一時間繰り返したところで「もうここらでよか」と溜息ひとつ、キッパリ諦めた。この5月によく似た目に遭い、やむなく新品で買ったそれが半年もしないうちにこの始末という有様に、もはや驚きも怒りもない。それが「激安中華Win」を買った者の宿命だから、である。

      思えばこのク○PC、そのスペックとは裏腹に動作が緩慢で最初からイライラの連続だった。あの「勝手に再起動」もこれまで幾度も食らっていた。この絵に描いたような「安物買いの銭失い」が悲しすぎる。「起動しません」と書いてメルカリに出してみようか(笑)。

      冗談はさておき、大嫌いなWinでしかできないことがあるので代替PCを調達するしかない。だがそこからまた「あれインストール」して「これ設定」して「あれもこれも復元して」とかとか、考えただけでもウンザリ。Winサドンデスへのソリューションってないんだろか?

      # 知らないの俺だけだったりして

       

        音楽「2」だったわたし

        中3の1学期、だったと思う。音楽の授業で担当教員K先生から期末試験とは別に「ハ長調で4小節の作曲をせよ」との課題が出た。そこで配布されたガリ版刷りの五線譜に、俺は「気乗りがしないのでこの課題にはおこたえできません」と書いて即日提出した。当時ビートルズにどっぷりハマっていたあまり『課題とはいえテキトーな旋律で評価されては困る』と考えたのがその理由だったんだが、そこに毎回退屈極まりない授業の連続への反感も加わっての回答だった。今にしてみれば、年端もいかないガキの戯言である。

        するとその翌日クラスの担任から呼び出され「お前ね、K先生が『このままだとS君の音楽の評定は1ですがいいですか?』と言ってるぞ」と脅された。5段階の1=「論外」である。「親が泣くぞ」と迫られた末、再度ガリ版刷りの五線譜に今度は全休符を4つ書き込んで提出した。すると夏休み前日に受け取った通知表には音楽「2」と記されていた。

        その後高校でも良く似た騒ぎで音楽「2」を幾度か食らったが、後年退職後のK先生と再会した折この時の話になり「デタラメなのとか、前後の席のやつと同じとかは多かったがあれほど教員をナメた回答は君だけだった」と笑われた。

        いま仮に、またあの時と同じ課題を突きつけられたらどうするか? 恐らく同じ反応をすると思う。困ったもんですね(笑)。

          F.Poulenc “Suite française”

           

           

          d’après Claude Gervaise

            松本清張 黒い画集 ~ 証言 ~

            松本清張の作品は、若い頃に片っ端から読み漁った。なので映画はもちろん、TVドラマでもそのタイトルを見ただけでどれもあらすじの大まかなところが思い出せる。むろん本作「証言」も。

            ただそうした映画もドラマも、清張ファンたるワタクシ的にこれまで◎なのを観たことがない。これも果たしてどんなもんかと訝ったが今回はNHK、それもよりによって主役が谷原章介というところで「え」と思った。アタック25のめざまし8の、あのケレン味皆無で「善良なお父さんの象徴」みたいな谷原章介で「証言」ってナニそれ!? と思い録画予約(注1)、それを今日見た。そして …

            まー驚いた。それがなぜかはネタバレになるので以下、未見なひとは読まないこと。

            本作のあらすじ、それは「浮気がバレたら困る主人公が、自身のウソから地位家族そっくり瓦解」という、古今東西よくある話。ところが原作ではそのきっかけが地方医師の単なる「浮気」だったものが今回、ずっと年下の男がその相手ときた。この「えーっ!?」なヒネリと18禁な描写(注2)で偽証の動機が強調され、この医師にウソの上塗りをさせる。もうこの時点で松本清張もビックリな「ヤバさ」から目が離せなくなった。

            ドラマの設定年代は「いま」だが、この医師一家の発祥は(恐らく)昭和。家族はもちろんのこと、一族郎党「LGBT」なる流行語とは無縁な生活をしていた筈。ただ、その主人公ひとりを除いて。そこに谷原章介を起用したセンスこそが本作のキモだ。

            ドラマの後半、真に愛し合っていた筈の二人の間に「恥」という単語が現れ、そこからクライマックスまで一気に展開が加速する。そして「あわわ」な末にスタッフロールが流れた時「これは原作を超えたな」と感じた。清張作品によくある「刑事らからの追求」との対位法的構造がなかったのは残念だが、こういうアプローチで昭和の名作を現代に蘇らせたNHKに拍手!

            注1: 初放映は昨年の春で、これは再放送らしい
            注2: よくアレをNHKで撮り、放映したなと