松本清張 黒い画集 ~ 証言 ~

松本清張の作品は、若い頃に片っ端から読み漁った。なので映画はもちろん、TVドラマでもそのタイトルを見ただけでどれも大まかなあらすじが思い出せる。むろん本作「証言」も。

ただそうした映画もドラマも、清張ファンたるワタクシ的にこれまで◎なのを観たことがない。これも果たしてどんなもんかと訝った。が今回はNHK、それもよりによって主役が谷原章介というところで「え」となった。

アタック25の、そしてめざまし8のあのケレン味皆無で「善良なお父さんの象徴」みたいな谷原章介で「証言」ってナニそれ!? と思い録画予約(注1)、それを今日見た。そして …

まー驚いた。それがなぜかはネタバレになるので以下、未見なひとは読まないこと。

本作のあらすじ、それは「浮気がバレたら困る主人公が、自身の偽証に追いつめられて地位家族そっくり瓦解」という、古今東西よくある話。ところが原作では地方医師の単なる「浮気」だったものが今回、ずっと年下の男がその相手ときた(注2)。この「えーっ!?」なヒネリで偽証の動機が強調され、更にはこの医師にウソの上塗りをさせる。もうこの時点で原作を大きく超えたその「ヤバさ」から目が離せなくなった。

ドラマの設定年代は「いま」だが、この医師一家の発祥は(恐らく)昭和。家族はもちろんのこと、一族郎党「LGBT」なる流行語とは無縁な生活をしていた筈。ただ、その主人公ひとりを除いて。これがなきゃ、ただの「人気作品の焼き直し」でしかなかったものが、同性愛者たる主役に谷原章介を起用した、その慧眼こそが本作のキモだ。

ドラマの後半、二人の間に「恥」という単語が現れ、そこからクライマックスまで一気に展開が加速する。そして最後にスタッフロールが流れた時「これは原作を超えたな」と感じた。清張作品によくある「刑事らからの追求」との対位法的構造はなかったが、これは新たなアプローチと思った。そして同じ手法で他の清張作品も観たい、とも思った。

注1: 初放映は昨年の春で、これは再放送らしい
注2: よくアレをNHKで撮り、放映したなと

哀しい夢

あれはたぶん小学校の低学年、春休み中のことだったと思う。家族4人で新宿へ向かうべく乗り込んだ上り列車は乗車率100%で、通路に立つしかなかった。するとほどなく、すぐそこの席に座っていたお姉さまが「はい、こっちおいで」と手招きしつつお尻を浮かせ、窓際のこれまたお姉さまとの間に妹を座らせてくれた。そして同じ手順で、俺も反対側の席に座ることができた。そのお姉さまらからはその後、氏名年齢家族構成目的地将来なりたい職業その他をひととおり聞かれた後、チョコを貰ったりババ抜きしたりですっかり打ち解け、気がつきゃ新宿に着いていた。

そこで「じゃあまたね」とこのお姉さま達が一斉に席を立った時、初めて気づいた。どの車両もこういう人ばっかりで、みな東京へ登山に行くような格好。そして網棚から下ろした荷物が「ヘルメットと角材の束」。あの人達がどこへ向かっているのかが、ここでわかったのだ。あの優しかったお姉さま達と、TVのニュースで機動隊に向かって火炎ビンを投げている連中が「同じ」とはとても思えなかったし、なにより「もっと一緒にいたかった」気持ちをこんな風に断ち切られてしまった寂しさが募った …

が、そこはしょせん小学生。すぐにそんなのスコーンと忘れてTokyo見物に夢中になってました。チャンチャン!

以後すっかり忘れていたそんな記憶が蘇ったのは、その数年後の「あさま山荘事件」とそれに続くリンチ殺人報道で日本中が大騒ぎだった時。「発見されました」で氏名と享年とともに次々出てくる写真が、どれもみなあのお姉さまらに見え、怖くて仕方なかった。だがこれ以後こういう運動・活動は潮が引くように衰退、それと共に自分の中であの記憶もふたたび忘却の彼方に埋もれていった。

ところがなぜか最近、たまにあの時の光景が夢に出る。それは「容姿は小学生なのに中身は還暦過ぎのオッサン」たる自分が新宿駅で大学生らを涙目で見送るという、不自然極まりない夢。それもホームにひとり取り残され、どこへ行ったら良いのかわからず途方に暮れるという、救いのない夢。

ただ単に疲れてるんだろうか? それとも???

ストラヴィンスキー再発見

ひさびさのCD、そしてひさびさのストラヴィンスキーは「結婚」。たまたまこの演奏を某所で耳にして興奮、もう「これは買うしか!」とばかりに購入した。

これは5年ぐらい前に出たものらしいが、指揮者も演奏団体もまるで知らないし、更にはこの地味で年代国籍不明なジャケット。¥2,600という半端なおネダンがついてるし廉価盤ではないと思うが、そのSONY「らしくなさ」がまたアヤシくていい。

そもそもこの「結婚」という曲を初めて聴いた時は「何この変なの?」ぐらいな印象しかなく、もう一度聴きたいとは思わなかった。それが何十年も経っての今回の邂逅で一転、そのオモシロさに気づくのだから不思議なものだ。

これはストラヴィンスキーに限らず、アレもコレも改めてもう一度聴いてみる価値あるかな?

S.Prokofiev “Prelude” Op12-7

何十年も前のちょうどいま頃、リューボフ・チモフェーエワという名のそれはそれは背が高くて顔小さくてパツキンで笑顔が素敵(=要はとってもキレイ)なお姉さまがロシアから来日、渡邉暁雄さんと日フィルとチャイコフスキーのアンコールにこれを弾いてくださった。まさかああいうシチュエイションでこれが聴けるとは思っていなかったので、殆ど金縛りで全身を耳にした、あの数分間が忘れられない。

最近あんまり名前を聞かないが、どこかでまたこれを聴けたらなあ。

 

米軍、IS系「計画者」をドローン攻撃で殺害

バイデンが報復を宣言した、その翌日にこれだ。良くも悪くも「さすがアメリカ」と思った。

ただTVでも「ドローンで殺害」とか言ってたが、これはもはや「無人爆撃機」か、もしかすると「無人狙撃機」である。爆弾抱いての「人海戦術」な敵とのレベル差がありすぎて殆ど滑稽だが、ふと「これをタリバン相手に使っていたらこうはなってなかったんじゃないか?」と思った。

それに加え、IS-Kへの制裁はタリバンを利することにはならんのだろか?  とも。あの一帯の紛争事情というのは、いつまで経っても不可解なことばかりだ。