かつて演劇部長を務めたことのあるわたしと「いだてん」

カイロでのIOC総会で東京五輪の開催を勝ち得た嘉納治五郎は日本への帰路、船中で没する。それが叶わなかったことを知っているだけに、これはアカラサマなまでに「泣かせ」な展開だが今回ばかりは完全に釣られた。視聴率で苦戦を強いられっぱなしなNHK大河「いだてん」と、当時のこの国の四面楚歌な立ち位置がカブってしまって、それはなおさらだった。

その嘉納治五郎は船内のロビーで「あなた方のこれまでで一番楽しかったことは何ですか?」と、周囲の者に尋ねる。俺はそこで「ハイ!」と挙手。びっくりしたように振り向く役所広司。

「EXPO70です!」
「は、エクス … ? 何かねそれは?」
「大阪で開催された日本万国博覧会、昭和45年、わたしが11歳の頃のことです!」

あれほどまでに指折り数えて待ち、そして期待を遥かに超えた感動を与えてくれた催しは後にも先にもあれだけ。更にはあの時以来流行語となった「コンピュータ」というカタカナ言葉が脳裏に焼き付き、それは結果的に俺の生き方を決定づけてしまった。

尤もそれはまだ当時の俺が幼気な「子供」だったというところもあるんだろうが、あの時周囲を歩いていた大人らも、みなそんな目をしていた。つまりあの頃のこの国は、今よりずっと若くて元気だったのでしょう。

「1970年? わしが110歳か、楽しみだねそれはハハハ!」
「いまや既にそれから49年経ってますよハハハ!」


少子高齢化でお先マックラですけど …

NHK大河で真に「歴史に学ぶ」を実感したのは本作が初。総合で日曜20:00でなくて一向に構わんので、この路線を継続してほしい。

群馬県は近きにありて遠かった

この週末のミッション、それは

* クルマに高齢者2名を積んで長野県諏訪市を出発
* おとなり群馬県吾妻郡で結婚式(自分のではない)
* その日のうちに戻る

というもので、直線距離にして片道100kmちょい。楽勝でしょうと思っていた。が、カーナビのおススメルートは

佐久まで山中の一般道 → 中部横断自動車道 → 上信越道 → 関越 → 一般道

な約300km、3時間超。これが山岳地帯の宿命である。走り出すとさっそく最初の区間でトラックやら軽やらに行く手を阻まれ、予定時刻の30分オーバーで到着。休む間もなく宴は始まった。

Canon EOS 6D (90mm, f/4, 1/350 sec, ISO1250)

Canon EOS 6D (70mm, f/4, 1/180 sec, ISO6400)

Canon EOS 6D (90mm, f/5.6, 1/90 sec, ISO6400)

それは大盛況感動ウルウルのうちに終了。がここまででHPを大量に使ってしまっていたので、帰路は高速優先でと検索したところ

一般道 → 関越 → 上信越道 → 中央道 → 一般道

で約400km(!)。以後ずっと「何が悲しゅうてわしらこんな遠回りしとんねん … 」と嘆きつつ、走り続けることまたまた3時間超。無事ミッション完了とはなったものの、クルマを降りた時点で完全にKO。そのまま泥のように寝た。

中部横断自動車道が全線開通となればこれも大幅に改善されるんだろうが、果たしていつのことになりますやら。次回、同様のミッションの際にはどっかで1泊が必須ですなこれは。隣県なのにー!

ようやく「秋」が

昨夜は早くに就寝。網戸にしてエアコンOFFで寝られたのはいいが、強烈な高気圧感で早くに目が覚めた。この時期にしてこれは異常。玄関の扉をあけたら強風でエライことになった。ま、それも午後には落ち着いてきて、あたりにはようやく初秋な空気。洗濯物を取り込もうとベランダに出た時、その向こうに広がっていたのがこれ。

Canon EOS 6D (90mm, f/5.6, 1/250 sec, ISO2000)

秋はいちばん好きな季節。その訪れを感じるたびに毎年「ホッ」とした気分になる。だがそれは年々「遅く、短く」が加速している気が、更には「日本の四季のバランスが崩れてきている」と実感する機会が増えてきている。いきおい「来年の今頃はどうなっているのだろう?」と不安になってくる。

自分にできることは何か? 今はそれを、けっこうマジで考えている。

暑く辛く、そして哀しかった夏

知らなかったが、あの「東京裁判」が4Kデジタルリマスターされ、各地でいま上映中なのだそうな。まあ確かにこの国の「戦前から敗戦まで」を知るにはこれがベストと俺も思っているし、多くの人に観てほしいと思うが、今日はそんな俺の「東京裁判」に関するエピソードについて。

その初公開ロードショウを諸般の事情で見逃した俺はその2年後、TBSでこれがTV放映されると知り直ちにVHSを2本買って帰った。そして迎えた当日19:00、明るいうちに録画予約と食事と入浴を済ませていた俺はTVの前で「さあこい」という感じで鑑賞を開始した。が、TVがボロくて佐藤慶のナレーションが聞き辛い。そこでボリュームを上げ、キッチンへ2本目のビールを取りに立った時だった。

あの「ニュース速報」な音がして振り返ると、画面には「… 日航機 … 消息 …」な白文字。恥ずかしい話だがこの時「あちゃー!」と頭を抱えたのは「折角の録画が」に対してであって、この段階ではまだ何が起きているのかがわかっていない。だがその後、速報がひっきりなしになってきて映画どころではなくなった。

録画はそのままにチャネルをザッピング、そして「500名以上の乗客を乗せた日航機が墜落したらしい」と判明したのは21:00頃だったか。TVもラジオもみな報道特番になっていて、まだ特定されていない事故現場に関する情報が錯綜していた。「長野県の山中か!?」と聞いた時は焦って実家に電話したが、その気配はないと聞き、少し安心したままTVの前で寝てしまった。

翌朝、つけっぱなしになっていたTVで墜落現場が判明したと知った。そしてまだ乗員・乗客の安否が不明な状況下、その名簿が淡々と読み上げられていた。寝ぼけた頭で「お気の毒に」と思いつつそれを見ていた俺が「びくっ」としたのは、良く知った人の名前がそこに現れた時。カタカナだったし、同姓同名であってくれと思いつつ、共通の知人に電話した。それに対し「身元が確認できた」と返信があったのは数日後。がくがくと膝が震え、以来現場から報道される全てが生々し過ぎて耐えられなくなった。

と、予想外の出来事で「東京裁判」どこへやらな話になってしまったあの夏。録画したビデオを見たのは、それから2ヶ月も経ってからだった。その後この映画は何度も観たが、今でも開始直後からあの「日航機」なテロップがそれに重なり、あの辛い夏を毎回思い出してしまう。だがそこで思うのは「東京裁判」もあの事故も、それで終わりではなく「自分の力ではどうにもならない事象・現実」に直面した時に人間はどう生きるべきか? という問いなのでは? ということ。

「東京裁判」リマスター版、行ってみましょうかね。

キムチと建前

夏休み初日、所謂「本場」な店で腹一杯焼肉を食した。決して安くなかったが、この記録的猛暑を乗り切るにはこれが最善と思ってである。実際それはサイコーに美味かったし、頑張って次また! という気にもなった。そして勘定を終え、店外に出ると「売国奴」と書かれたプラカードが集団で … ハイ、ウソですもちろん。

悲しいかな、今やキムチを頬張るたびにこんな事を考えてしまうが日本にそんな**はいない。よしんば現政権が「日本人ならキムチ食うな」と言っても、それに従う奴はおらんでしょう。てか「政策に反発して」というのはあっても、それに便乗して相手国へのデモとか不買運動とか、この国ではあり得ない。

あの「熱しやすく冷めやすい」国民がこの後どうなりますやら。

スマホが嫌いなわたし

この春機種変更したばかりのスマホが、突然使えなくなった。正確に言うとSIMが認識されていないらしく、通話ができない。むろん料金は最近ちゃんと払っている。そこで購入以来、初めてSIMを取り出してみた。

するとそれは一緒に出てきたSDともども、ホコリだらけの床に転げ落ちた。慌てて両方拾い上げたが、この記録的猛暑で手は汗まみれ。それを「ティッシュで拭ってトレイに戻す → 再度本体に挿入 → 電源を再投入 → ダメ → また開ける」から数行上にまた戻ってを4回ぐらい繰り返してようやく使えるようになった。この間約30分。接触不良? 一度も開けてないのに???

改めてスマホが「嫌い」から「大嫌い」になった。と共にこれを非常時、それも屋外で食らったらどうなるのだろう? と考えて怖くなった。肝心な時に電話として使えない携帯に高額な利用料金って、いったいなんなんだ!

追記: その二日後に再発、たまらずショップへ。SIM交換で復活したが、これでまた起きるようなら本体の修理と仰る。呆れてモノが言えない。