24 Heures du Mans 1966

新型コロナの影響かJ-Sportsでやっていたのがこれで、1966年 = 54年前(!)のル・マン24時間レースのダイジェストである。それは「米フォードが参戦3年目にして遂に常勝フェラーリを打ち負かした」際の記録でもあるんだが、これがまた「当時のレースってこんなんだったの!?」という驚きの連続でもあった。なにしろ

* ピットとコースに境目がなく、クルーもマーシャルも丸腰でヘルメットすらしてない
* 時速300kmで疾走するマシンのすぐ脇には観客が鈴なり
* コースアウトしたマシンが林の中で火だるま

とまあ、走る方も観る方も文字通り「命がけ」で、あまりに危険すぎて見ちゃおれない … が、その一方でスティーブ・マクィーンが映画「Le Mans」を「自らのドライブで撮りたい」と願った理由もわかった気がした。クルマのレースに限らず、挑戦というのはみなそこにリスクが伴うから面白いのである。

「究極の安全対策、それはレースをしないこと」であるならル・マンなど論外、どころかクルマ社会そのものがないのである。

温故知新。こういうの、もっと放送してくれー > J-Sports

「尻馬」の意味

打ち合わせとか会議とかで意見を求められても何も言わない奴に限って、モメだすと威勢のいいほうに加担して背後から声を出すようになる。俺はこういうのが大嫌いだが、悲しいかな世の大半がこれだこういう向きは多い。そして贖えない力に対するデモとか衝突とかの時、過激な行動で窘められるのはみなこういう連中。70年代日本における全学連しかり、成田闘争しかり、である。

こいつらは所謂「ネクラ」で、常に「ウサ晴らし」の機会を待っている。そこへ誰かが「正論」という錦の御旗を掲げて走り出すと「待ってました」とばかりに付和雷同、主義主張なんぞ二の次で「楽しい暴力」に邁進する。

今のUSA、正にこれだ。大統領の選択が正しいのか誤っているのか、俺には判断がつかない。ただただ日本がこういう状況にならない事だけを、心から願うのみである。

なんてこったい

緊急事態宣言の解除はいいが、今度は一転「その間の遅れを取り戻せ」な動きが加速してきて、更なるテンヤワンヤが始まった。そりゃ誰しもこれからの生活がかかってるんだし当然ちゃ当然なんだろが、この数カ月間危険覚悟での外出と帰宅後のテレワとで24時間労働を強いられ、すっかり疲弊した身を癒やす暇さえ許されないこの業界。勘弁してよと言いたくなる。久々にここでボヤこうかと思った … ら

このサイトのSSLの賞味期限が切れてて、警告が出てるではないか! 慌てて更新したが、要はそれぐらいプライベートな時間を奪われていたという証。疲れに追い打ちを食らった気分で参っている。これはもう早寝して明日に備えるしかないかな。もうコロナ関連ネタ、たくさんだし。

渦中の検察官が文春砲で撃沈!

直撃弾は「賭け麻雀」だそうで。そりゃあの立場で、この時期とあっちゃ無理もないと思う。

が、俺はここで敢えて問いたい。この人も「点ピン程度の麻雀であれば庶民の細やかな楽しみ」という暗黙のルールでいうところの「庶民」のひとりなのでは? だからこそ「庶民の倫理観で判定に白黒つける立場にいた」と考えることはできないのだろうか? そのご本人が自らにレッドカードを出して去ると言っているのだし、それ以上の懲罰を迫る必要があるんだろか?

むろん退職金満額支給とかは面白くないが、それよりずっと腹立たしいのが今の国会である。検察官に限らず賭博行為がぜんぶ×というなら、カジノ法案はおろかパチも公営もそっくり×だ。政権が変わろうが時代が移ろうが、人の世からギャンブルをなくす事も、そこに明確な法を適用することもぜったい無理。そんなわかりきった矛盾を負の側面から突き、空虚な議論で貴重な時間を浪費しているのが今の国会である。国民の血税の無駄遣い、それこそが断罪さるべき喫緊の課題であーる!

# 書いててだんだんアツくなってきてしまいましたー(汗)

I’ve not been mellow

なんでも明日でGWも終わりらしい。いつ始まったのかも定かでない、今年のGWが。

思えば昨年末以来、身内の不幸と仕事のトラブルとで心身ともに疲弊していたところへこの騒動。いきおい「春の訪れ」への期待感など吹き飛び、孤独で自堕落な生活に逆戻り。それに加え、この時期にして未だ朝は真冬の冷え込みとあって、また灯油を買う羽目に …

全てがおかしい。世界中が狂ってる。この傾向、随分前から予感していたものがこの数年で急速に具現化してきたような。

まさかこれは「天罰」? なのだとしたら神の怒りを鎮める術、それこそを改めてあの「政治家」という名の弱き者らに伝えて欲しい。手遅れかもしれんが。

俺は蕎麦にウルサイ!

なぜなら生まれがその本場、信州だから。なのでツナギ(=小麦粉)過多でパスタみたいな関東の「もりかけざるせいろ」はもとより、それを丼に放り込んで熱い醤油汁をかけただけの「かけそば」とか「天麩羅ソバ」とかを蕎麦と認めていない。

そもそも「蕎麦」とは「舌触り+喉越し+鼻に抜ける風味」を味わうものであって、ぐちゃぐちゃ噛んで飲み下すものではない。なので蕎麦の出来もさることながら、そのツユが重要である。関東のソバ屋では殆どが「かつお出汁+刻みネギ+わさび」でくるが、悲しいかなそのサビがどれも駅弁レベルで、風味もへったくれもない。信州人にとってサビとは「山葵」。あの気候とキレイな水でしか得られない、ホンモノのサビで食してこその「蕎麦」なのである。

そんな次第で俺は、これまでずっと帰省のたびに溜飲を下げてきた … が、このGWは「自粛してください」でそれも叶わない。この騒ぎが収束して以前の生活が戻った時には、なにより自ら「蕎麦帰省」といきたいもんだ。その時、これを読んだ人らで郷里の蕎麦屋が混雑してくれていたら嬉しい。