鳥羽伏見フェーズ完

なんだかここ暫く「西郷どん」ネタが続くが、それもこれも本作への期待の大きさから … が高梨臨もとい「ふき」さん、やってくれましたなあ今回もまた派手に。

居並ぶ家臣らの目の前で、将軍様に対しその「イタイ」ところを容赦なく突きまくった挙げ句「謝れば心根の優しい西郷さまは赦してくれます」と。そして更なる極めつけが「本当に行っちゃいますよ」と。むろんそう言わせたのは制作サイドだろうが、誰かここに「ありえない感」を唱える者はいなかったんだろうか?

どうも本作における女性の描き方では、角野卓造もといお虎こそがいちばん当時のオンナらしいと感じてしまう。

そんなこんなで、鳥羽伏見は10分かそこらでアッサリ完 … てかここ重要な局面だし、こんな手抜きでえーのんかい? と言いたくなった。錦戸亮が戸板で運ばれてみんな涙目なのはわかるが、ここで死なないの視聴者の多くが知ってるし。

次回が「無血開城」というから、たぶん来月には明治になっとるんでしょう。そこから2ヶ月ちょいで、西郷の残り10年余り。これまでの駆け足はこの先のための時間稼ぎだった、と信じたい。

 

    いまだ図書館に「巨人の星」でいいのか?

    もうじき9月も終わり、今年も残り3ヶ月となった。思えば春先の大相撲から始まってメディアはアメフト・レスリング・ボクシング体操etcその他と、連日延々「暴力パワハラ告発ネタ」ばかり。それも「組織内の権力闘争」と「指導者による体罰の是非」という、ふたつの問題点がゴッチャなままで際限なく続いてきた。だが俺的に前者はスポーツに限った話ではないのでスルー。論ずるべきは後者である。

    識者みな、以前は許されていた「指導者の体罰」が今では×という。どこからが「今」でどこまでが「以前」なのか知らんが、明らかにその「以前」な頃はマンガもドラマもスポ根モノが絶大な人気を博していた。そしてあの頃流行った言葉が「愛のムチ」。気に食わない奴を殴るのは暴力だが、教え子への鉄拳制裁は清き指導である、という論理。実際あの頃はそうした教員の「指導」がむしろ礼賛されていた。こういうのを「指導者たる自分の無力感が苛立ちとなって教え子に向かった結果だ」と評した人がいたが、正にその通りだと思う。

    今思えば、あの頃のスポ根モノで最後に勝利を手にした主人公は、判で押したように仲間や指導者と抱き合って「血と汗と涙」。その陰には信じた指導者や先輩からさんざ「愛のムチ」を食らっただけで勝利はおろか出番すらなく、寂しく消えて行った者が列をなしていたことは描かれていない。

    これらはみな、今でも書店やレンタルビデオ屋にずらりと並んでいる。だがいま体罰=全て×というならこんなの、片っ端から焚書or回収封印だろう。ああいうのに感化されたオトナは昭和で根絶、ぐらいな覚悟でなきゃおかしいでしょう? > スポーツ庁+文部科学省。

     

      田原坂への思い

      中央線中野駅。中野サンプラザが目印なここは今やまんだらけで「おタクの聖地」として都内のホットスポットに浮上したが、ここに「田原坂」という居酒屋がある。若い頃この店にはよく行ったし、いろんな思い出があるんだが、当時その店名について深く考えたことはなかった。実はそれが西南戦争の時の激戦地、あの西郷隆盛の前進を諦めさせたその地である、と知ったのはそれからずいぶん経ってからのことだった。

      3年前出張で熊本へ行ったその最終日、帰りのフライトまで時間があったのでその田原坂を訪れることにした。とはいえギリなのでレンタカー。平日とあって道は空いていたが、思わずその右足に力が入った。

      資料館が建て替え中で閉鎖されていたのは残念だったが、そこはどこにでもあるような、長閑な農村だった。天気も良くて、自分が今あの激戦地にいるという実感はなかった。が、その天辺に建てられた大きな石碑に刻まれた数えきれないほどの戦没者の氏名を見るにつけ、得も言われぬ気分に。

      春先の早朝、厳しい寒さの中で篠突く雨と霧、静寂。それが一発の銃砲と怒号とで破られ、悲惨な戦闘が来る日も来る日も延々と続いた、この地。想像するだに恐ろしく、悲しい、そんな光景がかつてここで現実にあったのだと思うと、今の自分の危うい日々ですら「これよりはずっとマシなのでは?」という気分になってきた …

      と思いつつ帰宅した後、気になってあれこれ調べ、DVD「田原坂」も見たがこれは物足りなかった。今年の大河「西郷どん」がここから先をどう描くか、それがとても気になっている。

        NHKさぁ、キバレやいー加減!

        大河はこれまで「山河燃ゆ」しか通しで見たことのない俺だが、今回の「西郷どん」は初回から欠かさず見てきた。それは西郷隆盛という人物への興味と、NHKならではの「あの時代」の描写に期待したからである。

        が、そこから一ヶ月もしないうちに「え”~! いくらなんでもそれはないでしょう!?」と感じる場面の連続でだんだんと「これは×かも」と思うようになってきた。放映開始直後からそういう声は高かったし、実際視聴率も伸び悩んでいる様だが、今やそれも宜なるかなと思っている。まだ先は長いが、せっかくだからこれまでに感じた俺なりに「致命的アカンわ」なところを記しておく。

        まず一発目は、島津父子の「ロシアンルーレット」。あれでは斉彬、運が悪きゃ即死で今の日本もなかったと言っているようなものではないか。いっそあそこで島津斉彬がスイカ割りなスプラッタ、自害と聞いた西郷がその遺志を継いで、とかで強引に史実に戻してくれた方がドラマとしちゃ面白かったかも ← ありえない。

        続く二発目は鶴瓶の岩倉具視。後半に向けてこれを誰が演じるのかと思っていたら、よりによって鶴瓶。如何に公家が堕落しようともアレはないと思うし、そもそも立ち居振る舞い全て鶴瓶そのものであって芝居になってない。瑛太の大久保もギリだが、少なくとも役者としての矜持は保っている。「家族に乾杯」繋がりで視聴率確保を狙ったかNHK! と思った。このままだと年内にタモリとか出て来ても不思議ではない。

        そして三発目。いよいよ現実となった倒幕の動きに怯える慶喜に対しその側室高梨臨、もとい「ふき」は面と向かって「西郷が怖いのでは?」とノタマウ。あのね、平成の今ならそれ「アリ」かもしれんがこれは100年前。側室の立場で将軍様にこれを言える女性が本当にいたんだとしたら凄いと思う。が、その時点でこの国の歴史観がそっくり瓦解だ。

        いったいNHKはこの先、大河ドラマ「西郷どん」をどう締めるのだろう? その始まりが銅像の除幕式と、未亡人たるイトの独白からだった以上そこへ「戻す・落とす」のは明白だが、以来ずっと「戦嫌いでいい人」なイメージで固めてきた西郷隆盛が、なんでここで豹変したのかを説明しなければ史実との乖離が進み、疑問も膨らむばかりではないか。

        NHKにはこれ以上余計な解説とか特番とかに頼らず、しっかり「ドラマ」としての結末を見せて欲しいと願っている。

          極論でしょうか

          某女優の息子が薬物で4度目の逮捕だそうでワイドショー格好のネタになっているが、この期に及んで「家族の支え」がどうとか「受け入れ体制」がこうとかしたり顔で説くコメンテーターが多いのには呆れる。だが仕方ない。そこはしょせん素人の井戸端会議である。

          しかしマジで困るのは、その中に薬物依存を「病気」と言って憚らない医療関係者が少なからずいること。断言するが、身内にこういうのを抱えた経験があれば間違ってもこんなことは言わない。それを未経験な医者が知ったかぶりでとあっては、何をか言わんやである。

          一方でその某女優、遂には今回文書で白旗宣言している。この人、自分の稼いだ金が息子経由で裏社会に流れたことに対する責任を感じているのだろうか? 裏社会に自ら加担し、更なる被害者を生んだという意識があるのだろうか? たぶん皆無だろうが、そうだとするならこの母あっての、という絵に書いたような図式。

          結局、違法薬物に対する罰則が緩いからこうなるのである。なのでその使用・所持に対して被告に即刻「死刑を宣告」する裁判長の出現を願う。譲って終身刑で、恩赦・特赦の含みを残した有期刑・無期刑では意味がない。被告は既に「人間やめますか」に耳を貸さなかった結果人権など失っているのだし、いちばんの被害者たる家族の人権・生活を守るにはこれが最良だからである。

          極論かもしれん。が、頷いてくれる人は少なくないと思う。