衝撃の2連発

Panasonic DMC-GX7MK2 (30mm, f/8, 1/60 sec, ISO5000)

えら~く久々にHANAYAMAの「キャストパズル(今は「はずる」と言うらしい)」に挑む気になり、一昨日ハンズで購入したのが「キャストコイル」。★★★★なら数時間で外せるだろう、との読みで選択したんだが本日に至ってもそれは先が見えないまま、5分いじっては1分眺めの無限回廊に。白旗だけは避けたいと思いつつ、飽くなきチャレンジを続ける自分が愛おしかった。

と、なぜかそこへ登場したのが我が息子。いい加減煮詰まっていたし「これやってみな」と手渡し、俺は鈴鹿F1を見ていた。すると5分としないうちに「あ、外れた」との無邪気な声が。え”!? と叫び振り返れば、正にアレがまっぷたつ。「なな、なんでデキたの!?」との問いに我が愚息「よくわかんないけど回してたら」と宣ってくださった。俺だってこの三日間、よくわかんないけどずっと回してきた。それを5分で外したコイツと、外せなかった俺。勝者と敗者。利口と馬鹿。親であるという儒教精神的威厳など、跡形もなく砕け散った瞬間だった。

だがそこに残ったプライドの一欠片が、自力解決へと己を鼓舞した。そこで再度ゼロからのスタートとすべく、親子揃って元通りにしようと足掻いていた、すると …

Panasonic DMC-GX7MK2 (30mm, f/8, 1/60 sec, ISO4000)

壊れました(涙)。お陰様でクリアできました(大涙) 。てか、ちょい待てやコラー!

そりゃイライラは募った。が、力任せに捻った訳でも放り投げた訳でもないのに、なんごてこないなガンテツが3日で壊れてまうズラね!? と日本各地の方言入り混じりで叫んでしまうほど、それはアッサリ壊れてくれた。「知的玩具」が一瞬にしてただの「壊れたオモチャ」となったのである。

これ、¥1,200したのよね。修復の可能性も考えたが、それで満足してはコイツの在り方が変わってしまう。明日がちょうど「燃えないゴミ」の日なんだが、そこへ放り込むべきかどうか、いま真剣に悩んでいる。嗚呼、悲しすぎるぞ「はずる★×4」。

    そして誰もいなくなった … 「新潮45」編

    かつて「マルコ・ポーロ」という雑誌があった。ライバル誌が取り上げない後進国の紛争とか内戦とかを仔細に報じるなど、個人的には好きで毎号発売日に購入していたもんだ。

    ところがそこに「ガス室はなかった」という記事がどかーんと掲載された翌日から、発行元に世界中から非難が殺到。賛否の議論も一掃され、編集長と社長と共にあっさり「廃刊」となってしまった。あれが「噂の真相」とかだったらまだしも、文藝春秋社の「オピニオン誌」がナチスの大罪をウソと言ってタダで済む訳がない。以来他紙でもこのテの「トンデモ記事」は鳴りを潜めていた。

    そこへ今回の「新潮45」。つい今しがた、ニュースでその休刊を知った。販売を中止する書店が出たとか聞いていたし、当然だろうと思った。ところが驚いたのは、新潮社のこの決断を非難する声が少なくないこと。どうやらみな「言論の自由の危機」と「それに屈した出版社のモラル」を言いたいらしいが、そもそもこれは某与党議員の戯言に新潮社が便乗、結果的に「それで儲けようとした出版社のモラル」を問われた結果なのである。新潮社を非難するならむしろ、即刻「廃刊」が妥当なところを「休刊」と復刊の含みを残した女々しさでであって「マルコ・ポーロ」の方がまだ潔かったと、俺は思う。

    だが一方でこれは、こんな騒ぎでも起こさない限り部数の低迷から浮上できない「新潮45」の断末魔だったのだろうとも思う。果たして次に自滅するのはどこだろう(怖)。

      鳥羽伏見フェーズ完

      なんだかここ暫く「西郷どん」ネタが続くが、それもこれも本作への期待の大きさから … が高梨臨もとい「ふき」さん、やってくれましたなあ今回もまた派手に。

      居並ぶ家臣らの目の前で、将軍様に対しその「イタイ」ところを容赦なく突きまくった挙げ句「謝れば心根の優しい西郷さまは赦してくれます」と。そして更なる極めつけが「本当に行っちゃいますよ」と。むろんそう言わせたのは制作サイドだろうが、誰かここに「ありえない感」を唱える者はいなかったんだろうか?

      どうも本作における女性の描き方では、角野卓造もといお虎こそがいちばん当時のオンナらしいと感じてしまう。

      そんなこんなで、鳥羽伏見は10分かそこらでアッサリ完 … てかここ重要な局面だし、こんな手抜きでえーのんかい? と言いたくなった。錦戸亮が戸板で運ばれてみんな涙目なのはわかるが、ここで死なないの視聴者の多くが知ってるし。

      次回が「無血開城」というから、たぶん来月には明治になっとるんでしょう。そこから2ヶ月ちょいで、西郷の残り10年余り。これまでの駆け足はこの先のための時間稼ぎだった、と信じたい。

       

        いまだ図書館に「巨人の星」でいいのか?

        もうじき9月も終わり、今年も残り3ヶ月となった。思えば春先の大相撲から始まってメディアはアメフト・レスリング・ボクシング体操etcその他と、連日延々「暴力パワハラ告発ネタ」ばかり。それも「組織内の権力闘争」と「指導者による体罰の是非」という、ふたつの問題点がゴッチャなままで際限なく続いてきた。だが俺的に前者はスポーツに限った話ではないのでスルー。論ずるべきは後者である。

        識者みな、以前は許されていた「指導者の体罰」が今では×という。どこからが「今」でどこまでが「以前」なのか知らんが、明らかにその「以前」な頃はマンガもドラマもスポ根モノが絶大な人気を博していた。そしてあの頃流行った言葉が「愛のムチ」。気に食わない奴を殴るのは暴力だが、教え子への鉄拳制裁は清き指導である、という論理。実際あの頃はそうした教員の「指導」がむしろ礼賛されていた。こういうのを「指導者たる自分の無力感が苛立ちとなって教え子に向かった結果だ」と評した人がいたが、正にその通りだと思う。

        今思えば、あの頃のスポ根モノで最後に勝利を手にした主人公は、判で押したように仲間や指導者と抱き合って「血と汗と涙」。その陰には信じた指導者や先輩からさんざ「愛のムチ」を食らっただけで勝利はおろか出番すらなく、寂しく消えて行った者が列をなしていたことは描かれていない。

        これらはみな、今でも書店やレンタルビデオ屋にずらりと並んでいる。だがいま体罰=全て×というならこんなの、片っ端から焚書or回収封印だろう。ああいうのに感化されたオトナは昭和で根絶、ぐらいな覚悟でなきゃおかしいでしょう? > スポーツ庁+文部科学省。