NHKさぁ、キバレやいー加減!

大河はこれまで「山河燃ゆ」しか通しで見たことのない俺だが、今回の「西郷どん」は初回から欠かさず見てきた。それは西郷隆盛という人物への興味と、NHKならではの「あの時代」の描写に期待したからである。

が、そこから一ヶ月もしないうちに「え”~! いくらなんでもそれはないでしょう!?」と感じる場面の連続でだんだんと「これは×かも」と思うようになってきた。放映開始直後からそういう声は高かったし、実際視聴率も伸び悩んでいる様だが、今やそれも宜なるかなと思っている。まだ先は長いが、せっかくだからこれまでに感じた俺なりに「致命的アカンわ」なところを記しておく。

まず一発目は、島津父子の「ロシアンルーレット」。あれでは斉彬、運が悪きゃ即死で今の日本もなかったと言っているようなものではないか。いっそあそこで島津斉彬がスイカ割りなスプラッタ、自害と聞いた西郷がその遺志を継いで、とかで強引に史実に戻してくれた方がドラマとしちゃ面白かったかも ← ありえない。

続く二発目は鶴瓶の岩倉具視。後半に向けてこれを誰が演じるのかと思っていたら、よりによって鶴瓶。如何に公家が堕落しようともアレはないと思うし、そもそも立ち居振る舞い全て鶴瓶そのものであって芝居になってない。瑛太の大久保もギリだが、少なくとも役者としての矜持は保っている。「家族に乾杯」繋がりで視聴率確保を狙ったかNHK! と思った。このままだと年内にタモリとか出て来ても不思議ではない。

そして三発目。いよいよ現実となった倒幕の動きに怯える慶喜に対しその側室高梨臨、もとい「ふき」は面と向かって「西郷が怖いのでは?」とノタマウ。あのね、平成の今ならそれ「アリ」かもしれんがこれは100年前。側室の立場で将軍様にこれを言える女性が本当にいたんだとしたら凄いと思う。が、その時点でこの国の歴史観がそっくり瓦解だ。

いったいNHKはこの先、大河ドラマ「西郷どん」をどう締めるのだろう? その始まりが銅像の除幕式と、未亡人たるイトの独白からだった以上そこへ「戻す・落とす」のは明白だが、以来ずっと「戦嫌いでいい人」なイメージで固めてきた西郷隆盛が、なんでここで豹変したのかを説明しなければ史実との乖離が進み、疑問も膨らむばかりではないか。

NHKにはこれ以上余計な解説とか特番とかに頼らず、しっかり「ドラマ」としての結末を見せて欲しいと願っている。

    極論でしょうか

    某女優の息子が薬物で4度目の逮捕だそうでワイドショー格好のネタになっているが、この期に及んで「家族の支え」がどうとか「受け入れ体制」がこうとかしたり顔で説くコメンテーターが多いのには呆れる。だが仕方ない。そこはしょせん素人の井戸端会議である。

    しかしマジで困るのは、その中に薬物依存を「病気」と言って憚らない医療関係者が少なからずいること。断言するが、身内にこういうのを抱えた経験があれば間違ってもこんなことは言わない。それを未経験な医者が知ったかぶりでとあっては、何をか言わんやである。

    一方でその某女優、遂には今回文書で白旗宣言している。この人、自分の稼いだ金が息子経由で裏社会に流れたことに対する責任を感じているのだろうか? 裏社会に自ら加担し、更なる被害者を生んだという意識があるのだろうか? たぶん皆無だろうが、そうだとするならこの母あっての、という絵に書いたような図式。

    結局、違法薬物に対する罰則が緩いからこうなるのである。なのでその使用・所持に対して被告に即刻「死刑を宣告」する裁判長の出現を願う。譲って終身刑で、恩赦・特赦の含みを残した有期刑・無期刑では意味がない。被告は既に「人間やめますか」に耳を貸さなかった結果人権など失っているのだし、いちばんの被害者たる家族の人権・生活を守るにはこれが最良だからである。

    極論かもしれん。が、頷いてくれる人は少なくないと思う。

      ケツのおデキ(18禁)

      着座の際、通常その重心はおシリの頂点どっちかになる。なのでそこに不幸にして所謂おデキが出現すると、とても痛い。しかもそれは目視できない位置にあるというのもあって、うっかり忘れて椅子に座るたびに「アテッ!」となってヒジョーに始末が悪い。このパターン、10年かそこら周期でこれまでにも幾度か喰らってきたが、今回またそれに見舞われた。

      繰り返すがこの位置のおデキは、触感でしか把握できない。そこで気になって指で触ると、その度に肥大化している(と感じる)。皮膚科で除去して貰うのがベストなんだろうが、いつも面倒やら恥ずかしいやらで自然治癒に任せてきた。今回もその予定でいるが、かつてそれが異常なまでに膨張、痛いを通り越してパンツも履けないという事態に発展した事があった。以下はこの俺がまだ二十代な頃の、その時のおハナシ。

      時刻は23:00かそこら。室内に俺以外は、その頃懇意にしていたおんなのひと(以下「おねーちゃん」とする)がひとりだけ。平時であれば×××な筈が、この日はそれどころでなく「実は今ワタクシのおシリのおデキがとっても痛いのでございます」な告白から。するとこのおねーちゃん、直ちに「見せなさい」と言うので素直にベッドで俯せになり、クレヨンしんちゃんよろしくケツだけ出した。

      「あ”ー、なにコレ!?」というおねーちゃんの声が聞こえた直後、その一点に激痛が走って思わず悲鳴絶叫。ケツのおデキをおねーちゃんに指一本で突かれ悶絶という、恥辱の極限でKOである。涙目で状況を尋ねると「ダメだわこれ、どうする?」という。そこで俺は「裁縫箱の針をレンジで熱して、それで刺して潰してチョーダイませ」と具体的な要求、おねーちゃんはキッチンからその通り、真っ赤になった針を手に近づいてきた。

      それがブスっと患部に刺さった瞬間、あの衝撃は忘れられない。それまでに感じた事のない「尖った」痛みと、遠くから聞こえるおねーちゃんの「キャー!」。それがバンドエイドを貼って貰った後、暫くして気がついた時にはウソのようにその痛みが消えていた。むろん医者にもかからず済んだ。

      今はただ、これがデカくなる前に自然治癒、それだけを願っている。

        あーもうウンザリ!

        今回、あるシステム開発の途上で

        * ヨソ様の作るファイルを監視し
        * 変更があればそれを指定された場所にコピーせよ

        という要求に出くわした。イベントとかメッセージとかでその更新が通知されたタイミングでというならまだしも、存在すら保証されていないそのファイルの更新日付を周期的にチェックしろというのである。これが如何に「べからず」なのかは説明するまでもないだろう。そう、最低な仕様だ。

        ちなみにこのヨソ様とは世間に、いや世界に名の通った企業なんだが、そこがこうして「プロセス間でのファイルのポーリング」を平然と強いてくるのである。呆れてモノが言えないが、そうとしか作れないのであれば仕方ない。orz …

        と、そこで思い出したのがinotify。あれを使えばポーリングは回避できる。そして更に調べたところ、Pythonでwatchdogというモジュールを使えば万事解決と判明。幸いこれで屈辱的なコーディングはせずに済んだ。

        が、それでも無力感は拭えない。こんな設計と実装しかできないところが作ったシステムのデキなど、推して知るべしだからである。せめてこれが「他社でそれはあり得ない」であって欲しい。でなきゃ☓☓☓☓ … (自粛)。

          カタチあるもの、いつかは壊れる

          Canon EOS 6D (70mm, f/4, 1/350 sec, ISO100)

          要は7年間育んできた旧blogが壊れ、復旧できなかった=管理が杜撰だったという事。ここからまたやり直し。

           

           

          Canon EOS 6D (90mm, f/11, 1/2 sec, ISO100)

          Canon EOS 6D (200mm, f/4, 1/250 sec, ISO1600)

          Canon EOS 6D (90mm, f/2.8, 1/250 sec, ISO250)

          Canon EOS 6D (24mm, f/4, 1/2000 sec, ISO100)