群馬県は近きにありて遠かった

この週末のミッション、それは

* クルマに高齢者2名を積んで長野県諏訪市を出発
* おとなり群馬県吾妻郡で結婚式(自分のではない)
* その日のうちに戻る

というもので、直線距離にして片道100kmちょい。楽勝でしょうと思っていた。が、カーナビのおススメルートは

佐久まで山中の一般道 → 中部横断自動車道 → 上信越道 → 関越 → 一般道

な約300km、3時間超。これが山岳地帯の宿命である。走り出すとさっそく最初の区間でトラックやら軽やらに行く手を阻まれ、予定時刻の30分オーバーで到着。休む間もなく宴は始まった。

Canon EOS 6D (90mm, f/4, 1/350 sec, ISO1250)

Canon EOS 6D (70mm, f/4, 1/180 sec, ISO6400)

Canon EOS 6D (90mm, f/5.6, 1/90 sec, ISO6400)

それは大盛況感動ウルウルのうちに終了。がここまででHPを大量に使ってしまっていたので、帰路は高速優先でと検索したところ

一般道 → 関越 → 上信越道 → 中央道 → 一般道

で約400km(!)。以後ずっと「何が悲しゅうてわしらこんな遠回りしとんねん … 」と嘆きつつ、走り続けることまたまた3時間超。無事ミッション完了とはなったものの、クルマを降りた時点で完全にKO。そのまま泥のように寝た。

中部横断自動車道が全線開通となればこれも大幅に改善されるんだろうが、果たしていつのことになりますやら。次回、同様のミッションの際にはどっかで1泊が必須ですなこれは。隣県なのにー!

    ようやく「秋」が

    昨夜は早くに就寝。網戸にしてエアコンOFFで寝られたのはいいが、強烈な高気圧感で早くに目が覚めた。この時期にしてこれは異常。玄関の扉をあけたら強風でエライことになった。ま、それも午後には落ち着いてきて、あたりにはようやく初秋な空気。洗濯物を取り込もうとベランダに出た時、その向こうに広がっていたのがこれ。

    Canon EOS 6D (90mm, f/5.6, 1/250 sec, ISO2000)

    秋はいちばん好きな季節。その訪れを感じるたびに毎年「ホッ」とした気分になる。だがそれは年々「遅く、短く」が加速している気が、更には「日本の四季のバランスが崩れてきている」と実感する機会が増えてきている。いきおい「来年の今頃はどうなっているのだろう?」と不安になってくる。

    自分にできることは何か? 今はそれを、けっこうマジで考えている。

      ギーロッポでヴァーチャル登山な休日

      この齢になっても「いちど生で聴いてみたい」と長年思っていながら、未だ果たせていない曲がまだまだたくさんある。特にリヒャルト・シュトラウスのそれが多いんだが、中でもかつては「派手なだけでxxxx」と揶揄されていた「アルプス交響曲」を遂に今日、サントリーホールで聴いてきた。指揮はおなじみ山下一史、オケは「俊友会管弦楽団」なるアマチュア。

      結論から言うと、それは同じく初ナマな前半の「4つの最後の歌」ともども素晴らしい出来だった。アマチュアオケがこのホールでリヒャルト・シュトラウスのみなプログラムに挑む、それだけでも大変だろうと思う。が、今日の演奏はそういうのを差っ引いても素晴らしかった。

      なぜならそこからは作曲者が「こう鳴らせ」と譜面に託した意図が、しっかり伝わってきたから。特に「アルペン」でのそれらは、ハラハラしながらの聴衆をも巻き込んでの「過酷な登山の追体験」。こういうのはアマチュアならではなのかも、とも。

      こういう楽しいひとときを楽しみに、また明日からを生きていきたい。以上!

        世界の中心で改めて「WindowsはXXX!」と叫ぶ

        またかと言われそうだが、俺はWinがすかん。その理由はたくさんあるが、イチバンのそれがCP932とかいう内部エンコーディング。今回、久々にその地雷を踏んでしまった。足を離して木っ端微塵になる前に、自戒を込めてグチる。

        普通な欧米人には理解できないであろう変な文字列(ex:日本語)をインターネットな世界で一緒くたに扱うのにUTF-8は、いまやごく普通であり常識である。そう、何もかもUTF-8でやっていればみんなハッピー、誰も困らないのである。実際AndroidもiOSもMacもLinuxもとっくにそうなっている。が、WinだけがいまだにCP932という「無意味どころか害でしかない」エンコーディングを改めようとしていない。結果、それをそのままファイルに書き出し→インターネットな処理系でそれを読む→機種依存文字の変換不可→DEAD … ある時期までは「よくある話」だった。

        が、それって20年も前のこと。それをこの期に及んで食らうとは迂闊だった。更にタチが悪いのは、こういうのを「致命的な問題」と言っても、まず意味がその相手に通じないこと。「手遅れか!」と気づいた時はもう遅い。

        まとめ:MSなServerとかSQLとかなシステム = 対人地雷。いずれ絶滅するが、それまでは探知に努め踏まないよう注意すること.。

          ハイビジョンの功罪

          急に合唱アリな「だったん人の踊り」を聞きたくなり、以前に録画したN響のそれを探し出して大音量鑑賞。ところが見始めてすぐ、団員の顔ぶれと「若さ」に違和感を感じ始めた。そこで調べてみるとこれ、2007年(=実に12年も前)のN響音楽祭のそれだった。なるほど懐かしのメンバー多いし、現役さんはみな今より12歳も若い。すると徐々にその「違和感」の理由がわかってきた。

          今でもたまに生前のカラヤンとかリヒテルとかの演奏を目にすることはあるが、それらはどれも良い意味で「古ぼけ」ている。それも古いほど顕著で、映像からそれらが収録された年代を類推できるほど。ところがデジタルハイビジョン以降はどれもクオリティが高くて、説明がなければそれが昨日なのか遥か昔なのか判別ができない。特にそれが故人の場合、あまりの生々しさに「本当にこの人死んどるんかい?」と感じることしばしば。

          歴史的な映像に対し、そこに「古い写真」的な懐古趣味を求めてしまうのは昭和生まれの性なんだろか?

            Possible mission

            20年以上も前に作られた「ある」システムの「ある」部分を作り直せとの命令が下った。ここで最初の難敵は「ビッグエンディアンなバイナリファイル×多数」。要はその当時のMotorolaな処理系(弔)がファイルに吐き出したCの構造体で、これをそのまま最新のリトルエンディアンな環境で編集せよというのである。

            このような「どこの誰がいつ作ったのかわからんフォーマットへの後方互換」は、いちばんやりたくないところだが仕方ない。最初はそこ(読み書き)だけCで書いてPythonから呼ぼうかとも思ったが、エンディアンの整合を考えただけでウンザリ。何かいい手はないか? と調べていて行き着いたのがctypes.BigEndianStructure。こいつで構造体のメンバーを定義してインスタンスを作れば、エンディアンの違いを(殆ど)意識する事なくプログラミングができる。名称からしてそのものズバリな、こういうのをハナから使えるところはさすがPythonである。

            ただ、だがしかし …

            こういうのって、そもそもエンディアンの意味とCの構造体とが理解できてなきゃ無理=「書く」手間より「読む」手間の方がかかる。なので、Cプログラミングの経験のない若者には敷居が高い。するとやはり、このワタクシを始めとする「Cで稼いできた旧きエンジニア」ならではの仕事なのかなあ、と思うと複雑な心境。俺もビッグエンディアンと共に絶滅種入りか? … おおコワ!