Possible mission

20年以上も前に作られた「ある」システムの「ある」部分を作り直せとの命令が下った。ここで最初の難敵は「ビッグエンディアンなバイナリファイル×多数」。要はその当時のMotorolaな処理系(弔)がファイルに吐き出したCの構造体で、これをそのまま最新のリトルエンディアンな環境で編集せよというのである。

このような「どこの誰がいつ作ったのかわからんフォーマットへの後方互換」は、いちばんやりたくないところだが仕方ない。最初はそこ(読み書き)だけCで書いてPythonから呼ぼうかとも思ったが、エンディアンの整合を考えただけでウンザリ。何かいい手はないか? と調べていて行き着いたのがctypes.BigEndianStructure。こいつで構造体のメンバーを定義してインスタンスを作れば、エンディアンの違いを(殆ど)意識する事なくプログラミングができる。名称からしてそのものズバリな、こういうのをハナから使えるところはさすがPythonである。

ただ、だがしかし …

こういうのって、そもそもエンディアンの意味とCの構造体とが理解できてなきゃ無理=「書く」手間より「読む」手間の方がかかる。なので、Cプログラミングの経験のない若者には敷居が高い。するとやはり、このワタクシを始めとする「Cで稼いできた旧きエンジニア」ならではの仕事なのかなあ、と思うと複雑な心境。俺もビッグエンディアンと共に絶滅種入りか? … おおコワ!

    暑く辛く、そして哀しかった夏

    知らなかったが、あの「東京裁判」が4Kデジタルリマスターされ、各地でいま上映中なのだそうな。まあ確かにこの国の「戦前から敗戦まで」を知るにはこれがベストと俺も思っているし、多くの人に観てほしいと思うが、今日はそんな俺の「東京裁判」に関するエピソードについて。

    その初公開ロードショウを諸般の事情で見逃した俺はその2年後、TBSでこれがTV放映されると知り直ちにVHSを2本買って帰った。そして迎えた当日19:00、明るいうちに録画予約と食事と入浴を済ませていた俺はTVの前で「さあこい」という感じで鑑賞を開始した。が、TVがボロくて佐藤慶のナレーションが聞き辛い。そこでボリュームを上げ、キッチンへ2本目のビールを取りに立った時だった。

    あの「ニュース速報」な音がして振り返ると、画面には「… 日航機 … 消息 …」な白文字。恥ずかしい話だがこの時「あちゃー!」と頭を抱えたのは「折角の録画が」に対してであって、この段階ではまだ何が起きているのかがわかっていない。だがその後、速報がひっきりなしになってきて映画どころではなくなった。

    録画はそのままにチャネルをザッピング、そして「500名以上の乗客を乗せた日航機が墜落したらしい」と判明したのは21:00頃だったか。TVもラジオもみな報道特番になっていて、まだ特定されていない事故現場に関する情報が錯綜していた。「長野県の山中か!?」と聞いた時は焦って実家に電話したが、その気配はないと聞き、少し安心したままTVの前で寝てしまった。

    翌朝、つけっぱなしになっていたTVで墜落現場が判明したと知った。そしてまだ乗員・乗客の安否が不明な状況下、その名簿が淡々と読み上げられていた。寝ぼけた頭で「お気の毒に」と思いつつそれを見ていた俺が「びくっ」としたのは、良く知った人の名前がそこに現れた時。カタカナだったし、同姓同名であってくれと思いつつ、共通の知人に電話した。それに対し「身元が確認できた」と返信があったのは数日後。がくがくと膝が震え、以来現場から報道される全てが生々し過ぎて耐えられなくなった。

    と、予想外の出来事で「東京裁判」どこへやらな話になってしまったあの夏。録画したビデオを見たのは、それから2ヶ月も経ってからだった。その後この映画は何度も観たが、今でも開始直後からあの「日航機」なテロップがそれに重なり、あの辛い夏を毎回思い出してしまう。だがそこで思うのは「東京裁判」もあの事故も、それで終わりではなく「自分の力ではどうにもならない事象・現実」に直面した時に人間はどう生きるべきか? という問いなのでは? ということ。

    「東京裁判」リマスター版、行ってみましょうかね。

      タムキューふたたび

      あるイベントを間近に控え、愛機6Dのためエラ~く久しぶりにレンズを購入した。モノはタムロンの「SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD」= 最新の「タムキュー」である(以下「F017」とする)。

      が、俺にとって「タムキュー」はこれが初めてではない。D30な頃の俺にとって初の中望遠マクロだった「SP AF90mm F/2.8 Di MACRO1:1」(以下「F272」とする)は、なんと未だ現役で手元にあるのである。そこへこれが本日届いたので動作確認まではしたが、その使いこなしについては自家薬籠中のそれとあって今更語ることもない。なので今回は両者の比較なんぞを。

      と、その前に実はこのワタクシ、6D購入の際に先代(以下「F004」とする)も手に入れていた。インナーフォーカスとなって伸び縮みしなくなり手ブレ補正がつき、静かになったそのポテンシャルは高く、忽ち必携となった。が、悲しいかなその見てくれのTAMRONらしいショボさがどうにも容認できず、結局手放してしまった。ちょうどその頃にデビューしたのがこのF017で、以後ずっと「いつかコレを」と考えていたまま数年が過ぎての今である。

      # そういう意味では「みたび」か

      結論から言うと「F004で不満だった点が解消された」のがコレ。質感も充分だし、おススメなのは間違いない。が、マニュアルフォーカスで花とか虫とかを追いかけるのであれば、今でもF272で充分かとも。要は「タムキュー」の基本性能、もしくは設計コンセプトがそれだけ秀悦だったという事である。なのでその最新版たる「F017」ならではの活躍の場所とは

        • AF時の「ジコジコ」ノイズが許されず
        • 低いシャッタースピード+手持ちでのポートレートで美しきボケ

      が必要なシチュエイションかなと。正にそういうところへ出向くために今回選んだのがこれ。あとはカメラマンの腕次第か。ハハハ!

      追記: 電源を入れたままこれを持ち歩くと、シャッターに触れていなくてもコロコロと音がする。なんじゃこりゃ? 現在調査中。

        キムチと建前

        夏休み初日、所謂「本場」な店で腹一杯焼肉を食した。決して安くなかったが、この記録的猛暑を乗り切るにはこれが最善と思ってである。実際それはサイコーに美味かったし、頑張って次また! という気にもなった。そして勘定を終え、店外に出ると「売国奴」と書かれたプラカードが集団で … ハイ、ウソですもちろん。

        悲しいかな、今やキムチを頬張るたびにこんな事を考えてしまうが日本にそんな**はいない。よしんば現政権が「日本人ならキムチ食うな」と言っても、それに従う奴はおらんでしょう。てか「政策に反発して」というのはあっても、それに便乗して相手国へのデモとか不買運動とか、この国ではあり得ない。

        あの「熱しやすく冷めやすい」国民がこの後どうなりますやら。

          スマホが嫌いなわたし

          この春機種変更したばかりのスマホが、突然使えなくなった。正確に言うとSIMが認識されていないらしく、通話ができない。むろん料金は最近ちゃんと払っている。そこで購入以来、初めてSIMを取り出してみた。

          するとそれは一緒に出てきたSDともども、ホコリだらけの床に転げ落ちた。慌てて両方拾い上げたが、この記録的猛暑で手は汗まみれ。それを「ティッシュで拭ってトレイに戻す → 再度本体に挿入 → 電源を再投入 → ダメ → また開ける」から数行上にまた戻ってを4回ぐらい繰り返してようやく使えるようになった。この間約30分。接触不良? 一度も開けてないのに???

          改めてスマホが「嫌い」から「大嫌い」になった。と共にこれを非常時、それも屋外で食らったらどうなるのだろう? と考えて怖くなった。肝心な時に電話として使えない携帯に高額な利用料金って、いったいなんなんだ!

          追記: その二日後に再発、たまらずショップへ。SIM交換で復活したが、これでまた起きるようなら本体の修理と仰る。呆れてモノが言えない。

            ワタシハダレココハドコ?

            Panasonic DMC-GX7MK2 (13mm, f/4, 1/4000 sec, ISO200)

            Panasonic DMC-GX7MK2 (60mm, f/4, 1/1000 sec, ISO200)
            ブーゲンビリア?

            Panasonic DMC-GX7MK2 (42mm, f/4, 1/640 sec, ISO200)

            何年ぶりかに「ざけんなよコラぁ!」な大噴火の末、遂にバックレて仕事放棄。そして記録的猛暑の中、家族連れ子連れで賑わうところへ行ってきた。要はプレッシャーから解き放たれ、たった一日ではあれどごく普通な日本人的な夏休みを過ごしたということ。いい気晴らしになった。

            どこで? 折角だから上の3枚から当ててみてクレタマエ。